チェルノブイリ原発事故で放出された大量の放射能の7割もがベラルーシ共和国に降り注いだと言われています。私達はそのベラルーシ共和国の放射能汚染地住民、また高汚染地からの移住者への支援と交流を行っています。
モギレフ州にあるクラスノポーリエ地区、チェリコフ地区は、チェルノブイリ原発から250kmも離れていながら、地区の3分の1以上が高汚染の「居住不能」地区(セシウム137で15キュリー/平方キロメートル以上の汚染)とされ、事故後8年頃までに段階的に人々の移住が行われました。(未だに移住を拒否して済み続けている人々もいます。)移住と出生率低下のため、地区全体の人口は事故前の半分ほどに減少。しかし、15キュリー/平方キロメートル未満の汚染地域には人々が住み続け、農業を中心とした生活を続けています。(注:比較のため。日本の法律では、1キュリー/平方キロメートル以上の汚染レベルでは「放射線管理区域」に指定され、一般の人々の立ち入りが禁止される。)人々は今も放射能汚染と被曝の中での生活を続けているのです。 地区人口の減少、続く放射能汚染は農業を主体とする地域経済に深刻な困難をもたらし、人々の生活はますます苦しくなっています。アルコール依存者の増加、子供を養育できない家庭の増加など、社会的問題も深刻化しています。 クラスノポーリエ地区病院のデータによれば、この地区の子供達の罹患率(呼吸器系の疾患など)は事故前の3倍以上に増加しています。事故後の14年間に3人の子供が甲状腺癌を発症しました。(事故前の同じ期間には1例もみられていません。)慢性的な被曝と生活難があいまって、地区住民の健康状態が全体的に悪化しています。 私達はこれらの地区の病院、幼稚園、学校、子どものための保護施設などへの支援・交流を続けています。
同じくモギレフ州の汚染地のベリニチ地区にある寄宿学校にも支援・交流を行っています。この寄宿学校では、親がいないか、いても養育できない(病気やアルコール依存のため)家庭の子供達が生活をしながら勉強しています。寄宿学校入学までの経緯の中で、子供達はそれぞれに深い「心の傷」やハンディを負っており、そこから立ち直り、将来的に自立して社会参加できるよう教師やスタッフの方々がさまざまな努力しています。 日本の子供達が託してくれた絵を届けたり、また寄宿学校の子供達から絵や手紙を送られたりといった交流もしています。
首都ミンスクのマリノフカ地区には、ベラルーシ各地の高汚染地からの1万人あまりの移住者が暮らしています。人々は住み慣れた地方の故郷を捨て、新たな都会で「ゼロからの生活」を始めなければなりませんでした。家族の病気や死、失業、周囲の人々からの差別、慣れない高層アパートでひとり暮らす老人…さまざまな問題をかかえる中で、お互いに助け合ってゆこうと「移住者の会」が結成されました。私達は、この会の人々へも支援と交流を行っています。