■□■□■□■□■□■□■□■ 若狭ネット第47号(1999/1/25) □■□■□■□■□■□■□
ドイツ、ベルギーなどでの脱プルトニウム・脱原発をバッグに 美浜原発事故8周年
2・8「関電申し入れ行動」を!
今年は、スリーマイル島原発事故が起こって、ちょうど20年にあたります。この炉心溶融事故は、全世界に原発は「やっぱり危ない」ということを教え、当のアメリカでは、原発新増設の動きがとまっていきました。また、チェルノブイリから13年になります。これらの事故を契機として、ヨーロッパは、脱原発・脱プルトニウムへ動き出し、今日の大きな流れにつながったのです。
日本では、いまだに原発推進を声高に叫び、既存の原発の寿命を伸ばそう、さらに原発を増やそう、プルサーマルを進めようと、どんどん危険な方向へ拍車をかけています。
今から、8年前の1991年2月、関西電力の美浜2号原発で、蒸気発生器(SG)の細管が突然ギロチン破断しました。
この原発は、他の原発のような見かけ上ボロボロのSGではなく、見かけ上健全なSGだったのです。関電が運転しているどの原発においても、チェルノブイリのように大量の放射能をまき散らすという恐ろしい重大事故が日本でも起こることを私たちの前に明らかにしたのです。
ヨーロッパでの脱原発への流れをバネに、日本でも、美浜事故8周年にあたる2月を手始めに対関電行動を盛り上げていきましょう。
関電は、「原発を安全に 多重防護を」と、いまだに推進宣伝
ここ最近、関電は、マダムキラーの俳優を使い、「事故を未然に防ぎます。事故の拡がるのを防ぎます。放射能災害を防ぎます」と、多重防護システムがあるから原発は大丈夫であると、テレビ宣伝をしていま
す。美浜原発事故などなかったかのような原発「安全」宣伝をしています。
8年前の美浜原発事故では、SG破断事故を未然に防げなかったし、放射能を閉じこめることもできなかったんです。あのときの反省はどこにいったのでしょうか。
SG損傷や破断の問題は、蒸気発生器を交換したから問題が解決できたかのように、関電はすましてはいますが、とんでもありません。8年前に起こった破断した本当の原因は、いまだに解明できていませんし、ボロボロになる悪い環境も一向に変わってはいないのです。やがて、また、交換した蒸気発生器が古くなれば、またぞろ問題が出てくるのです。
原発事故の危険性はますます高まる
関電は、昨年の11月30日、大飯2号炉で定期検査中に、炉心の熱をとりのぞくための余熱除去ポンプ付近から水を漏らしました。調べると、配管にひび割れがあったというのです。その原因は、溶接ミスであり、設計ミスであったといいます。
また、今度は高浜3号で定期検査中の12月25日、、海水ポンプ3台が二重の人為ミスで全て停止するという事態が起こりました。原発の実際は、設計も技術もこんなお粗末な姿なのです。
また、関電は、この1年原発はよく動きましたと宣伝をしていますが、これもよく考えてみますと、定期検査をできるだけ短縮している証拠なのです。原発がどんどん老朽化しているのに、点検は、ないがしろにし、経済性を最優先しているのです。これでは、既存の原発が危険へとますます傾いていっているのです。
そして、高浜4号炉のプルサーマル計画でも、驚くべきことをやってのけようとしています。
1月21日の福井新聞によれば、MOX燃料輸送については、核不拡散問題で輸送船二艘がお互いに護衛するという案で合意しそうです。この費用は、電気料金に上乗せされるのでしょうか。
このプルサーマルで使うプルトニウムとウランの混合のMOX核燃料は、イギリスで加工し、輸送容器に入れて日本に来る予定です。その輸送容器が、基準を満たない欠陥品であったにも関わらず昨年の12月24日に、関電は「使っても良いという許可をください」と、運輸省に再申請したのです。この再申請を運輸省も認めようとしています。こんな姿勢で関電が、原発を管理しているかと思うと、ゾッとしてきませんか。そして、運輸省もしかりです。ぜひとも、美浜事故8周年、2月8日に、関電へ押しかけ、申し入れを行いましょう。
昨年の12月28日、関電へ抗議
関電は、昨年12月24日、欠陥輸送容器の再申請を運輸省に提出しました。
私たちは、緊急でしたが、昨年の御用納めの12月28日に関電本社に押しかけ、「プルサーマル計画中止、欠陥輸送容器を使用するな!」の抗議と申し入れを行い、厳しく問いただしました。
2・8 関電行動に集まろう
原発重大事故の起こる前に原発を止めねばなりません。そのためには、ますます原発重大事故の危険性が高まっていること、そして、寿命になってきている原発を延長する動きやプルサーマル計画で危険性に一層かたむいていくことを暴露して、関電と徹底して対決していきます。
関電申し入れ行動で、さらなる運動をつくり上げましょう。
「編集後記」
・ 私が、日高原発反対運動を始めた大きなキッカケとなる大事件は、TMIでした。その後、運動は、若狭連帯行動ネットワークに引き継がれ、20年にもなりました。こんなに長く続けられたのは、原発はぜったいアカンという情熱があったからでしょうか。今年もみなさんに支えられてがんばります。よろしくお願いします。
きよ子
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