□■□■□■□■□■□■□■□■□若狭ネット第51号(1999/9/18)■□■□■□■□■□■□■□
再 燃 し た 串 間 原 発 問 題
太陽光・風力発電トラスト共同代表
反原発ネットワーク串間代表 竹下 主之
・突然の「原発立地反対決議の撤回を求める決議」
4月の統一地方選の中で行われた串間市議選で、反原発派は 5人と後退し、中間推進派が16人となり市議会の勢力が一変した。改選後、初の議会となった5月定例議会が始まり、原発問題にどんな変化が起こるのかが注目された。6月21日の議会開会中に11人の議員が集まって、「エネルギー推進委員会」という名称の会が発足した。末海重俊氏が会長となり、河野勝巳氏が副会長で二人は共に前々回、前回の議長経験者で幹事長に元市役所職員・収入役を経験した森光昭氏がついた。いずれも前議員で原発に推進の立場で、特に河野議員は漁協出身で前回の選挙ではただ一人「原発推進」を公約としていた。この委員会が当面の活動として発表したのは、@原発・エネルギー問題の資料を集めて研究する。A原発問題に関する串間市議会の過去の決議の検証と今後の対応の検討。などとしている。末海会長は委員会について、「串間市の現状を把握して、今後どうしていくかという議員の意見の結集をはかる。頭から原発がいい、ということではなく、エネルギー問題について、市民や各種団体の意見交換するなど、幅広い活動に順序よく地道に取り組んでいきたい」と述べた。
その委員会発足から5日目にあたる6月25日、6月議会の最終日の午前中に委員会が開かれ、突如決議案の提出が決まり、議員提出議案は一般質問の最終日までとするというこれまでの市議会の慣例を破る形で「動議」という不自然な形で強引に提出された。提出者の森議員は決議文を読み上げることもなく、文案に配布されているからと言うやり方だった。結果は14:5の大差で可決となった。可決された決議文は次のような文章で、急にまとめられたとしても不十分であり、その唐突さを示すものだ。
「九州電力株式会社は、平成7年12月1日、串間市民の原子力発電に対する反対意見の声が大きいことや、市民の理解がえられないことを理由に、串間市における原子力発電所建設計画を凍結することを発表し、事務所を撤去しました。したがって、九州電力株式会社による串間市における原子力発電所立地計画に反対するこの決議を撤回するものであります。以上、決議する 平成11年6月25日 宮崎県串間市議会 」
・串間原発問題のこれまでの主な経過
串間原発問題の発生から8年が経過し、様々な紆余曲折があったが、その主な経過をもう一度ふりかえって考えてみたい。
九州電力が、串間市に原発立地計画を打診していたことが明らかになったのは92年2月だった。行政はすぐ担当係を設置し、通産省や科技庁の後押しによる推進のための講演会を始めた。PTAにまで動員要請をし、講義を受けたり、電力会社も加えた形で宣伝活動を続けた。そんな中で、92年5月野辺市長の電算機導入に絡む汚職事件が起こり、逮捕され辞任となった。出直し市長選では元市長の山下茂氏と川崎氏が原発問題を最大の争点に競うこととなった。反原発を訴えた川崎氏の追い上げに、山下氏も「原発問題は住民投票で」と公約せざるを得なくなり辛勝した。全く無名の川崎氏の善戦で原発問題はクローズアップされ、反原発運動の構築に大きな支えとなった。
95年には立地打診後初めての市議選となり、二大JAを中心にした反原発派が10人を推薦し、全員当選という状況をつくり出し、共産党の1人を加えて議会構成を定数23名の中で議長を除き、11対11とした。
96年9月には、中間派の2人を加え13対9で「原発立地反対決議」が可決されることとなった。同年の11月には原発問題を争点とする2回目の市長選となり、汚職で退陣し有罪、執行猶予中の野辺氏が原発推進で立候補し、電力側も田舎の市長選としての破格の5千万円もの支援をした。しかし、投票日直前に反原発派が大同団結し、山下氏の完勝となる。
97年3月議会で山下市長は「1年以内の住民投票」の公約として、住民投票実施の為の予算案を議会に提案した。しかし、反原発派の1議員が裏切り、しかも秘密投票という卑劣なやり方で予算案を組み替えてしまい、多くの市民の期待は予期しない形となってしまった。反原発団体は市長へ「再議」の提案をするよう強く求めた。その間市長は東京で九電の鎌田副社長(現社長)と会い、「白紙・再検討」とする九電側の対応に「投票せずして勝利した」と発表した。しかし、この会談には何の証明もなく市民を納得させるものではなかった。中でも山下氏と「九電が撤退を表明しても住民投票を実施する」という確約書を交換していたJA青年部は約束違反として、750万円の損害賠償を求める訴えをし、数回の審理を経て9月に判決を迎えることになっている。
99年1月議会では、現条例の市長裁量だけによる条項の変更を求める直接請求がなされた。議会の議決や市民の意思でも住民投票ができるように、とするものだった。しかし、1月議会では様々な思惑も絡み、8:14で否決されることとなった。そのあと、4月の選挙へとつながっていく。
・4月統一地方選における串間市議選では
これまで原発問題への対応では11:11と拮抗していた串間市議会があり、山下市長も反対の立場であったため、原発問題は一応沈静化している状況だった。そんな中で市議選は原発問題が争点として競われるかが話題とはなっていた。しかし、実際の選挙戦の中ではポスターに反原発と記入した候補者は8名、演説や訴えの中でも反原発を明確にしたのは5名と少なかった。前回の原発を最大の争点とした市議選とは異なる状況だった。反原発派2人、中間推進派の2人が引退し、しかも定数が23名から2名減の21名となる中で、新人が、9名立候補という大激戦となった。
全立候補者の中で、原発に反対の立場と見られたのは12名で、残りの17名はだれ一人も原発問題に触れなかった。原発問題以外には、それほどの争点もないまま串間の市議選とすれば原発に対する自分の立場をいくぶんなりとも明らかにすることは立候補者としてのモラルでもあったはずだ。
市民の受けとめ方も、自分たちにとって大きな問題であるとの認識は強かったようだが、串間市はじまって以来の大激戦となったため原発を争点とするまでにいたらなかった。選挙戦の前半では反原発派の過半数当選も可能という情報もあったが、新人が多く選挙通も読み切れなかったという。ただ反原発派が前回の選挙のように統一した取り組みができず、それぞれ独自の運動となり、しかも、その中の3名は立候補の決意が2月と遅れたことも大きく影響した点は反省しなければならない。
6月25日、ちょうど選挙から2カ月目の日の決議に対し、市民は大きく揺れた。活動の休止を宣言していた推進派の中には、原発への期待を表明する人たちもいるが、「せっかく沈静化していたのに」「市議選では一言もふれなかったのに」「こんなに急な議決に加わるのであれば投票しなかったのに」「反原発の候補者を落とし責任を感じている」などの意見があり、依然として原発問題は串間市にとって避けて通れない問題であり、来秋の市長選がまた一つの大きな山場になりそうだ。
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