地球環境を真剣に考える21世紀が明けました
 
今年の2月で、関西電力が起こした美浜事故から10
この10年の若狭ネットの運動をふり返り、
新たな出発をするために
 
 皆さん、新たな年を迎え、心新たにされていることでしょう。
 私たちは皆さんとともに、21世紀の最初の1年を見すえながら、脱原発が当たり前の世の中になるよう全力でがんばるつもりです。今年もよろしくお願いします。
 その初めの「つどい」として、2月18日に「美浜事故10年をふり返り、21世紀に臨む」交流と討論のつどいを開催します。ぜひともご参加いただき、この10年間をともにふり返り、新たな出発点にしていきたいと思います。初めての方も大歓迎です。お互いの想いや考えを意見交換しながら、「今世紀の新たな1年の闘いを模索できたら」と考えています。
 また、21世紀最初の関電本社申し入れを2月9日に行います。ぜひご参加下さい。
 

 
 美浜事故10年の運動をふり返り、
 福井と関西の連帯した反原発運動を広げよう
 
 今から10年前の1991年2月9日、関西電力の美浜2号原発で、蒸気発生器細管のギロチン破断事故が起きました。
 「蒸気発生器細管には粘りがあるからギロチン破断は起こらない」という関西電力の主張が真っ赤なウソであることを事実で示しました。スリーマイル島事故(1979.3.28)やチェルノブイリ事故(1986.4.26)のような原発重大事故が日本でも避けられないことを警告したのです。
 事故翌日の抗議行動に続き、2月12日と19日に、全国からの結集の下、関電との徹夜交渉を行いました。関電の対応に業を煮やした参加者が本社前に座り込み、逆に関電が玄関を自らバリケード封鎖するなど、一時騒然となりました。私たちは、関西の市民グループと共に、事故原因を徹底糾明し、関電の責任を追及し、公開討論会を開かせました。この成果をもって福井現地で戸別訪問や新聞折込を繰り返し、原発の危険性を具体的に暴露・宣伝してきました。
 この過程で、1991年9月に若狭連帯行動ネットワーク(若狭ネット)が結成されました。
 事故原因は究明されておらず、新品に取り替えても解決できないことを具体的に示し、蒸気発生器の交換に反対しました。また、圧力容器上蓋の貫通管ひび割れ問題をいち早く取り上げ、交換せず廃炉にするよう求めました。その後も、関電が原発事故や問題を起こすたびにすかさず申し入れ、継続的に、粘り強く、頑固に関電を追及し続けました。
 「1口5百円で百軒に新聞折込」のキャッチフレーズで全国に呼びかけた新聞折込基金は5百万円に達し、節目節目に、福井県下で新聞折込を19回行いました。
 現地と都市部の共同した力で、新聞折込基金を使って敦賀市民アンケートを実施し、敦賀市民の多数が原発増設に反対であることを明らかにしました。それは、若狭ネットの増設反対請願署名や草の根連帯の敦賀3・4号増設反対県民署名に引き継がれ、県民署名では有権者の1/4に相当する21万名が集約され、若狭ネットも約4万を集めました。
 この県民署名に対する若狭ネットの現地行動は33回にのぼります。初めは戸別訪問で地道な話し込みを行い、途中から土・日連続で毎週、スーパーや駅前で街頭に立ちました。呼びかければ応えるという県民の熱い想いを感じました。この県民署名の成功を全国へ広げるため、「福井の風を全国へ」を合い言葉に敦賀で、原発反対福井県民会議と共に原発新増設を止めよう全国交流集会を開きました。この風は、三重県芦浜、宮崎県串間、鹿児島川内、島根の反対運動を勇気づけました。
 10回に及ぶ「もんじゅ」の早朝の核燃料搬入阻止行動は、眠い目をこすりながら毎回欠かさず参加しました。プルトニウム政策転換署名やあかつき丸によるプルトニウム輸送反対闘争においても、その一翼を担いました。この一連の運動が、もんじゅやプルサーマルをめぐる運動へと引き継かれているのです。
 1995年1月17日には、阪神・淡路大震災が起こりました。6千名を超える尊い命を奪い、数兆円規模で構造物を破壊しました。「日本の高速道路は関東大震災にも耐えられるから大丈夫」と豪語した地震学者や行政の「防災対策」を打ちのめしました。「専門家の安全宣言」の脆さと無責任さが強烈に印象づけられたできごとでした。
 同時に、このような直下地震に原発が果たして耐えられるのかが大問題となり、若狭ネットもこれを正面から取り上げました。国の耐震設計審査指針に重大なごまかしがあることを突き止め、科技庁と原子力安全委員会を追及しました。また、M7クラスの直下地震はいつどこで起きても不思議ではなく、これに原発が耐えられないことを明らかにしました。活断層が活発化し地震が多発しており、地震による原発重大事故が危惧されます。
 その年の12月8日には、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」でナトリウム火災事故が起きました。武生市での討論会で動燃を徹底的に追及し、草の根連帯の22万名のもんじゅ反対県民署名にも、25回の現地行動で4万名以上を集約し、貢献しました。
 プルサ−マル問題には、1996年末からいち早く取り組み、武生市で関電と公開討論会を開き、福井新聞で紙上討論会を行い、事業者の見解に対する反論冊子を作成し、全関係議員に配布しました。MOX燃料データねつ造問題でも関電本社を継続して追及しています。
 美浜事故から10年、福井現地と関西都市部の共同行動は、着実に発展し、厚い信頼関係が勝ち取られています。これは、若狭ネットの呼びかけに快く応じて下さった皆さんの熱情の賜です。これを大事にし、さらに強固なものにしていきたいと思います。
 
なぜ現地行動が重要なのか?
 
 若狭ネットは福井現地と関西都市部を結ぶ連帯行動のネットワークです。それは、和歌山県の日高・日置川闘争で反対運動が勝利したことを教訓としています。では、なぜ現地行動が重要なのでしょうか?ここでは、これまでの若狭ネットの活動を通じて私たちが感じていることをまとめておきたいと思います。
 
現地で通用する市民運動でなくては
 
 私たちが福井現地での行動に取り組んだ最大の理由は、原発事故、被曝、利権争いなどさまざまな矛盾と対立は現地で発生し、そこで深刻化し、発展しているからです。長い日高闘争の経験から、現地でこそ市民運動の真価が問われ、そこで通用しないような主張や運動は決定的な力になりえないと思うからです。15基の原発が動いている福井現地では、原発をめぐる雇用・取引関係、地脈・人脈、寄付等金銭的利害関係など、より広く長く深い矛盾と対立が存在します。
 
地元の「同意」「立入調査権」が弱い環
 
 また、地元の「同意」や「立入調査権」が原発の立地、事故、運転時に決定的な意味を持つ局面があり、現地での反対運動の組織化がそれぞれの節目で決定的な力を発揮する場合があります。それが原発を推進する政府や電力会社にとって弱い環になりうるのです。このような地元の「同意」には、立地市町村と周辺市町村、県と市町村、福井に特殊な嶺南と嶺北の間の対立が複雑に絡み合っています。現に、敦賀原発増設計画では対岸の越前町や河野村が反乱を起こしましたし、もんじゅ事故では県が独自の立入調査で動燃の事故隠しを暴き出しました。このような対立を反原発運動の中に生かすためには現地での運動の組織化が不可欠です。
 
現地での粘り強い運動を孤立させず、
現地と都市部の運動が互いに強め合う
 
 とくに、福井のような原発既設地点では、さまざまな利権構造が発展しているため、現地の反対運動は極めて困難な状況に置かれます。中途半端な態度に留まったり、孤立化させられたりすると、押しつぶされるでしょう。都市部と現地の運動が結びつけば、現地での運動を鼓舞し、組織化を助け、促すことができるのです。それには、現地と都市部でそれぞれ粘り強く徹底して闘い抜く運動があり、両者が現地と都市部の両方で結びつけられて初めて可能です。若狭ネットはその条件を満たしていました。
 福井では労働運動や原水禁運動と連携した市民運動が存在していましたし、労働運動が後退する中でも粘り強く運動を展開し続けています。美浜事故後数年の27回に及ぶ戸別ビラ入れでは、都市部と現地の市民運動が一体となって、一軒一軒を訪問し、ビラを手渡して話しかけました。ときには、怒鳴り散らされたり、ビラを持って追いかけられたり、「ご苦労さん」と、お茶をご馳走になるときもありました。「こんなことを続けていても・・・」という焦りを感じたときもありましたが、戸別訪問を粘り強く続ける中で、固い口が徐々に開いていくのを感じていました。
 
関電本社との対決がより先鋭に
 
 関西電力本社のある関西都市部では、原発を推進する関電と対決し、その責任を追及することが決定的に重要です。その際、現地行動を通して問題意識がより具体的になり、より鋭く追及できます。若狭ネットの関電交渉はこの10年弱で69回に及びます。また、現地行動を通してその結果を直ちに現地へ返すことができ、それを組織化に生かせました。現地行動は都市部での運動の拡大と大衆化にも大きな影響を与えます。現地と都市部がネットワークを通じて、互いの組織力を強化・拡大しあうことができたと言えます。その成果が、敦賀市民アンケートの成功、敦賀原発増設反対署名ともんじゅ反対署名の2度にわたる20万人規模での成功への寄与、敦賀での原発新増設反対集会の成功、武生市での関電との公開討論会と福井新聞での紙上討論などとなって結実したと言えるのです。
 
全国連帯での政府との対決が不可欠
 
 このような連帯は全国規模でも不可欠です。なぜなら、原発の最大の推進者は政府であり、政府の原発推進策を転換させない限り、原発を全面的に停止させることはできないからです。全国の原発立地点と都市部のすべての運動を連帯結合させる必要があります。若狭ネットは、これを新聞折込基金や対政府交渉で追求しました。全国から5百万円の基金が集まり19回の新聞折り込みを行い、プルトニウム政策や地震問題などで全国の反原発運動を可能な限り結集し、11回に及ぶ対政府交渉を行いました。これらを通じた全国的な連帯は若狭ネットの貴重な財産となっています。
 
一貫した原発推進派との対決路線を歩む
 
 若狭ネットはこの10年間、反原発・脱原発の立場を鮮明にし、原発を推進する政府や電力会社との徹底した対決路線を歩んできました。厳しい現地での矛盾と対立の下で、立場を曖昧にすると、原発の容認や原発との共生に転落していくからです。現地では地縁・血縁を通じた恫喝や妨害と共に、甘い誘いが渦巻いています。それに抗して毅然たる態度を貫き通すことは並大抵の努力ではありません。都市部でも、反原発が多数派に転化すればするほど、それを集票活動に利用しようとする勢力が食指を伸ばし、曖昧な路線が持ち込まれます。私たちは一貫して反原発の対決姿勢をとってきました。しかし、このことは「反原発」の立場に立っていない人々を運動から排除したり、一緒に行動しないというものではありません。自らの主張を鮮明にしながら、極めて柔軟な態度で、さまざまな異なる見解の人々と共同行動を重ねてきました。運動に真剣であればあるほど、激しい議論は避けられないでしょうが、自分たちの運動だけが正当だというような独善的で排他的な姿勢は、若狭ネットとは無縁です。
 
脱原発には原発停止が先決
 
 政府や電力会社による原発推進の宣伝は非常に巧妙になっています。たとえば、高レベル廃棄物の処理・処分は原発によって恩恵を受けた現世代の責任であり、都市部が核施設立地点の痛みを理解し共有しなけらばならないなどという主張です。要するに、高レベル廃棄物の地層処分を認め処分場の立地に協力するのが国民の義務であり、核施設立地点への見返りに税金を投入させろというのです。このようにストレートに言えば、戦争時の大本営発表を想起し、誰でもおかしいと思うでしょうが、ナイーブな言い回しをすればコロッとだまされる可能性があるのです。推進派がこのような巧みな言い方をし始めたのは、原発をめぐる矛盾と対立が先鋭化してきたため、これまでのようには原発を推進できなくなったからです。
 現世代が危険な高レベル廃棄物の地層処分を認めれば、現世代は高レベル廃棄物を生み出すことをやめるでしょうか。いいえ、逆に、歯止めがなくなるだけです。それは困り果てている推進派に手を貸すようなものです。
 再生可能エネルギーの推進や脱原発政策についても、私たちは原発の停止が先決だと思っています。これを曖昧にしていると、原発の容認や原発との共生という奈落の底へ転落していくことは目に見えているからです。
 
自信をもって21世紀に臨みましょう
 
 原発をめぐる情勢はかつてなく推進派に不利であり、反対派に有利です。
 第1に、商業原発30年の歴史によって「原発誘致による地域振興」が幻想にすぎず、むしろ地場産業が衰退を余儀なくされています。これは原発立地自治体自身が認め、政府も認めているところです。なりふり構わぬ「原発特措法」の制定や、エネルギー基本法制定の動きはその反映です。
 第2に、原発立地点での利権構造に亀裂が入り傷口が深まっています。福井県では利権グループと県民との間で原発新増設やもんじゅ運転をめぐる対立が鮮明になっています。知事と議会、嶺南と嶺北、立地市町と周辺市町村、原子炉メーカーと地元企業との間で、利権構造内部での対立も顕在化しています。
 第3に、政府は「原発特措法」で電源三法の欠陥を補おうとしていますが、経済全体の不況と財政赤字の下では、原発立地点に湯水のように買収資金を注げません。それは、立地点の地域振興につながらないどころか、結局、立地点での亀裂を深め、経済全体の中での対立を引き起こし、国民的な批判の的を増やすことになるでしょう。
 第4に、電力自由化は新規原発の経済性を一層喪失させ、原発容量の増大に伴って緊急時に備えるべき火力発電容量を維持することが困難になり、原発新増設に経済的なブレーキをかけています。また、原発の比重が増大したため、原発だけで基底負荷電力を超える事態がこの正月に生じています。
 第5に、TMI事故、チェルノブイリ事故に続く美浜事故、もんじゅ事故、阪神淡路大震災、東海再処理工場事故、使用済燃料輸送容器やMOX燃料加工でのデータねつ造事件、そしてJCO事故が、原発重大事故への強い不安、原発推進体制への深い不信となって現れています。JCO事故以降、政府サイドから導入された原子力防災体制の整備と防災訓練は、原発重大事故との「共生」を強いるものであり、人々に一層の不安と反発を招かずにはおかないでしょう。
 
現地と都市部の連帯した力で脱原発を
 
 もんじゅは、2月県議会が焦点です。
 敦賀3・4号増設計画は、環境影響評価準備書が出され、知事の今秋の判断が焦点です。
 使用済核燃料の中間貯蔵施設は、3月末までの立地点明確化が焦点です。
 プルサーマルは、関電とBNFLとの間のMOX燃料の英国返還交渉と、関電のSMPとの新加工契約が焦点です。
 美浜事故10年をふり返り、今世紀を脱原発の世紀とするためにどうすべきか、2月18日のつどいで話し合いたいと思います。ぜひご参加ください。そして、今世紀も、皆さんの力をお貸し下さい。
 

今後の予定

 
21世紀もやります!ヘビの執念で!
 
2.9 今世紀最初の関電本社申し入れ行動
  美浜事故10年の2月9日(金)午後4時半
関西電力本社前集合(大阪、地下鉄四つ橋線「肥後橋」下車、西へ歩5分)
 
  美浜原発2号の蒸気発生器細管ギロチン破断事故から10年を期し、美浜1号寿命延長反対、プルサーマル反対、事故隠し糾弾、原発新増設反対、使用済核燃料中間貯蔵施設立地反対など、さまざまな課題で、それぞれの想いの込もった申し入れをもってご参加下さい。
 世紀を超えて未回答の質問項目(6ページ参照、1月8日に追加再提出)に対し誠意ある回答を求めましょう。
 
2.18 美浜事故10年をふり返り、
21世紀に臨む
交流と討論のつどいに参加を!

    2月18日(日)午後1時〜5時 エルオオサカ
    (地下鉄谷町線「天満橋」駅下車、西へ徒歩5分、TEL 06-6942-0001)
 
 
 美浜事故で浮上した日本での原発重大事故の危機、これを契機とした若狭連帯行動ネットワークの運動の始まり。この10年をふり返り、運動にかかわった人々の連帯と交流を強め、運動の現状と未来を原点から見つめ直しましょう。また、電力自由化、原子力長期計画で打ち出された安全規制の緩和、地震の活発化などによる原発重大事故の危険について考えましょう。
 和歌山県日高、三重県芦浜、福井県敦賀、美浜、小浜、武生、三方、今立、香川県など各地からご参加いただき、ざっくばらんにお話をお聞きし、意見交換したいと思います。
 

 
4月 ベラルーシの高汚染値からの「移住者」を迎えて
「チェルノブイリ15周年」交流企画に取り組もう
 
4月22日(日)大阪交流集会(予定)
 主催:チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西 (振津 0798-44-2614)
 
 

  編集後記   
 6年前の阪神淡路大震災の様子がマスコミに取り上げられています。あのときのちょうど前日に宝塚の会に招かれ、福井の反原発運動の盛りあがりを話したのち、ちょうど12時間後に大地震が起こったのです。(私は、風邪のため、パートナーにいってもらいました。)
 あのとき「福井の原発は大丈夫だろうか」と心配したのは、私たちだけではなかったようですね。いまだに心配しながら生活しています。 (きよ子)