各地からの基調報告
 
和歌山県日高から 濱 一巳さん
 
 こんにちは、久しぶりですね。僕もだいぶ頭が薄くなってきて、白くなってきました。皆さんの元気なお顔を見てホッとしています。
 皆さんが日高へ来てくれなくなって、もう12年ですか。志賀政憲町長さんが今3期目、頑張ってくれています。あの町長さんが当選してくれてから皆さんとは疎遠になってしまって、今も相変わらず運動靴を履いて、上は仕事上背広を着たりネクタイを締めたりしていますが、白いスニーカーをマジックで黒く塗って革靴に見せかけて走ります。しかも、公用車を使わずにバイクで走っている。そういう性格の町長さんです。それまでは、日高で運動せないかんのに日高は何しとるんやと言う形で、皆さんに押されるような形で原発反対運動をしてきました。ある時は想像以上にばく進するような形で進んだときもありました。大阪の方、京阪神、和歌山の方たちに押される形で、運動ってどんなにしたらええんや、ビラってどんなに書いたらええんやという形で教えられてきたと思います。
 久保さんの話を聞いていますと、その当時のことをずっと思い出すんですけども、半分以上忘れてきています。苦しかったときのことはもう大分、忘れてきています。今はもう、頭の中からは、「原発」、あのころはよく言われました「事前調査」、そういうものが頭の中からはもう消えてしまってね。その時に賛成・反対と分かれて、漁業組合でもそうだったんですが、町全体でもそうだったんですけども、何かもの言うと賛成と反対とで意見があわずに、今はね、それがなくなったんですよ。あの頃反対派と賛成派という中でバンバンやりおうた仲でも、そんなもんこっち置いといて話ができるようになった。年月かかってましたですけどね。酒を飲んだ席では、「あのとき、こんなことがあってなあ」という話がポッと出ます。出ますけど、「もう、浜、あれも時効やしな」という。その当時は悪名高くてね。なかなか外も歩きにくかったですけど。推進派の方からね、「あれはもう時効にしたる」と言われてね。そういうこともあったんですよ。その当時は、皆さんにも迷惑かけました。「原発に反対していて、原発こなかったら、こんな過疎の中でどうしていくねん。原発こんかったら道もでけへんぞ。道路広してほしかってもでけへんぞ。」よくまあ、推進派の方から言われましたけど。今の町長さんになって、まあ一回、日高町へ来てみてください。だんだん、だんだん、道も広くなっていきます。ほんど、触れ合いセンターという立派なものをつくりまして、日高町の志賀地区ですけど。そこを通って海へ出てくる、日高町の主幹道路ですけど。ほとんど二車線になってきてます。広いところではもう歩道もついています。海の方へ出てみたら、港もできています。うちも立派な港を作っていただきました。港からズーッと、地元では湾岸道路と言っているんですけど、道路も大型の観光バスが来たら対向することもできんような道やったんが、その道もだんだん広くなってきています。湯浅町、広川町、由良町、日高町、美浜町、御坊市が寄って道路を広くしようと、高速道路が山の中ズーッと御坊市まで行っているんです。だから、置いてけぼりに会うかわからんということで、ドライブコースとしてこの道を広くしようということで市町村長会議が決めているんです。何も、原発が来んかっても、今の町長さんが頑張って、今の道路を広くしようということで一生懸命やってくれています。うちの隣の小杭という村でボーリングして、冷泉ですけどね、温泉を掘ったんです。温泉館という「満潮の湯」という名前が付いていますけどそこへ二階建てですか、建物として総工費約6億ぐらいかかっていると思いますが、立派な温泉館ができています。ボーリングを掘るんだけでも、役場の職員の人に聞いたら、1億5〜6千万円かかりましたと言うてます。通りがかりの人もちょっと寄って帰ろうという形で、こんなとこ人が住んでんのかというぐらいの村が、今は人で、人で、土日とかになったら、800〜900人、こないだの連休には1千百何人、うちの前の道路で片側駐車して、ズーッと風呂があくのを待っているんですよ。そんなして風呂へ入って帰っていく。だいたい1時間ほどで入れ替わっていきますけどね。皆が訪れてくれる村になりました。町長さんが大事にしている触れ合い、温泉にでも入って人と人とが肌をふれあって、そんな変な感じじゃなしに。そないしてたら、何かわだかまりものうなってきて、裸のつきあいしてたらな、悪いとこが腹の中に残らん。そういうつきあいしていかんだら、賛成・反対いうて別れていたやつが一つにならんと言うことです。最初はね、わりと温泉というのは田舎の人、ちょっと敬遠してたんです。町の方の人たちは抵抗なしにどんどん利用してくれたんですね。日高町の人たちが利用してくれなんだんですね。「今日は寒かったから」言うて、方杭まで、うちまできてくれるんですよ。そないして、うちとことの温泉もかなり有名になってきて、町長さんのやっていること見てたら、もう原発の事前調査と言うことがだんだん、だんだん、遠のいていって、日高町の町をみんなが足を運んでくれるリゾートの町にしようという考えがあるんじゃないかなと思います。自分が温泉館の周囲に空き缶やゴミがこぼれていたら拾ってくれたりね。満杯になった駐車場の交通整理やってくれています、町長さんがね。「町長さん、そんなん若いもんがやったらええのに」と言うと「若いもんは仕事をしてくれたらええんで、僕がしてたらええんですよ」と。体操帽かぶってきてね、スニーカー履いてきてね、交通整理して、「いらっしゃいませ、有り難うございました」言うてね、町長さんがそんなんですよ。そんな姿を見てたらね、「ああ、一生懸命やってくれているなあ」と思います。
 あれから、僕らも一生懸命に反対運動やったのが14年、おやじから受け継いで14年ですか。仕事もほって、もう、一生懸命に原発反対運動をやりまして、こういう風な形になってしまいました。その間、遊んだ分を一生懸命働かな言うて、私は漁師をやってますんで、一生懸命釣りで働きました。その頃ですかね、太刀魚がよく釣れましてね、太刀魚釣りを一生懸命やって、7、8年間ようけ水揚げさせてもらいました。14年間遊んだ分を取り返したぐらい、何もかも忘れて一生懸命働きました。その間に、だんだん、だんだん、町民の頭の中から原発事前調査というもんを忘れていって、「もう、浜、あんな話は時効や」とか、「もうこれでええんや」と。「あんな東海村のJCO事故とか、若狭の方で事故あったり、あんなん見てたらなあ、やっぱり、お前らの考えが正しかったんや」と。「温泉館ができて、日高町はこれでええんや」という風な話もしに来てくれます。うちへもこの頃、立ち寄ってくれて、一杯飲みながら話をするんですけど、「これで日高町よかったんや」と向こうの方からしてくれるようになりました。日高町の方はそんな風になってます。そんでもねえ、若狭の方から、美浜や各地からこられると言うことで、かかえておられるかた達がどういう気持ちで過ごされているのかなということをお聞かせ願えたらという気持ちで今日は出席させてもらいました。また、時間があれば、日高の土地を訪れてみて下さい。