三重県芦浜から 大石琢照さん
 
 芦浜の近くから来ました。去年の2月に、もうすぐ1年になるんですが、三重県知事が「白紙」ということで一応は止まっている状況なんですけども。この10年をふり返って、どうやって芦浜が止まったのか、止めたのか、それから、今の現地の状況ということなんですけども。あまり、話することがないんですよね。ただ、38年かかったわけです。38年いろんなことがありました。何年か前にも、この場で署名のお願いをした記憶もありますし、この10年をふり返って考えてみますと、その前からもそうですけども、芦浜原発に関してはいいのか悪いのか判りませんけども、かなり圧力をかけて止めたというふうに思います。たとえば、表現は悪いけれども暴力であったりとか、あるいは、警察の忠告を無視するようなというと、要するに刑務所へ入れられるような行動であったりとか、要所要所でそういうことがあったということは確かであります。もちろん、そういうことがよいのか悪いのか判りませんけども、そのおかげで、要するに環境影響調査とかそういったものを阻止することができた。で、そのなかの一つとして署名があったと思います。署名は、もちろん民主的な集め方をしましたし、重複のないようにチェックもしましたし、そういうこともやって集めさせてもらったわけですけども。81万の署名というのは三重県の有権者は141万人ですので、三重県の過半数です。16才から19才までの未成年も三重県民の過半数を集めましたし、芦浜から30km圏内の過半数の市町村から過半数というか80%以上集めてますし、南島町内でも90数%もの署名を集めてます。この署名というのも、ものすごい圧力、行政に対する、それから県議会とかそういう選挙で上へあがらなあかんようなそういう人らに対する圧力やったと思います。そのあと知事が「3年間考えさせてくれ」ということで、3年間が過ぎて、その間、東海村でああいう事故があったということもあって、「今推進なんていうことは絶対言えないなあ」ということも聞こえてきましたんで、おそらく知事の発表は「休止期間をもう少し伸ばしたい」つまり「もうちょっと考えたい」と言うか、もう「白紙」と言うか、どちらかに違いないということは判ってました。去年の2月22日に知事が「白紙」と言いましたが、そうなったら、南島町はどうなったんかというと、その前日ぐらいから知事が白紙と言いそうだということは判ってたんです。ただ、いつも我々は騙されてますんで、行政とか、あるいは電力会社とかがいつも騙すもんで、どうせ騙されるだろうと皆が思ってたんです。マスコミの情報なんかもかなりいい加減な情報があったりして、その気になるといつもがっかりするんで。今回ばかりはその気にはならずに行こうということで、皆で県議会を傍聴したわけです。そうしたら、白紙にすべきだということになって。で、南島町としてはその翌日かその翌日、原発をもうずっと頑張ってきた、たとえば生まれたときに芦浜計画が浮上して、そして自分が20代の後半ぐらいになってからやっと頑張りだしたという人たちが結構いるわけですけども、そういう人たちが「次は何したらええんやろ」と言うわけですよね。「もうせんでもええやろ。もうええぞ、しばらくせんでもええぞ」と、こういうふうに言っとったんですけども。確かに、芦浜原発はかなり終わりに近づいとるとは思うんですけども、まだまだ完全に終わったとは我々は認識してないんです。というのは、昭和38年の終わりから39年にかけて芦浜計画が出て、それから数年後に当時の知事は「白紙や」といったんですね。「凍結」という表現をしたんですけども、それから何年か後に、10数年たってからまた解凍されたわけです。そういうことがあるんで、まだまだ、つまり、土地は中部電力のものですし、それから、いろんな推進派はまだ動いてますし、電力のいわゆる「工作員」と僕らが呼んでいる人らは現地へちょろちょろ入ってますし、それから、まだまだ終わってはいないなというふうには思とるんです。どっかでは「もう終わったかな」と思とるんですけどね。そういうふうに「まだまだ」と言い続けとらんと不安なんですね。終わったとなるとだらけるんです。だから、完全に、もうちょっとしたものでも、つぶしてしまわんといかんと思ってますんで。だから、まだまだ頑張っていくつもりです。
 それから、現地では、たとえば、都市部ではもうちょっと高尚な言い合いをするじゃないですか。都市部の人たちは。たとえば、エネルギーがどうとか、こうとか、お話するじゃないですか。我々はそういうことはあまりしないんです。ややこしいことは覚えたくないもんでね。いつも言うのは、都会の人らというのは、結構いろいろなことで、頭の良い人らも結構おるし、頑張ってくれとるわけですけども、現地は現地で腕力のあるやつとか一杯おるわけですわ。役割分担だと僕は思っているわけですけども。だから、よく、学校の先生とか、大学の教授さんとか、そういう人がよくやって来るわけですよ。それで、よく話をするわけですが、「お前らな頭使えよ」と、僕らよく言うんです。「俺らは体使うとるので、お前ら頭使えよ。頭を使えるうちに使えよ。それで、使うたやつで、その情報を簡単に我々にくれ。そうしたら我々はしゃべれるやないか。もちろんこういうことも、するかもしれんけども、これもあったら強いんや。そやから役割分担や」と。「お前らに暴力ふるえと言ったって無理やろ。だから連帯や」と、「つながらなあかんのや」ということでやってきたんです。
 これから現地で今どういう状況かと言うと、我々の所の話し合いというのは、そういう難しい話ではなくて。「そんなら、お前ら活性化はどうするんや」とかね。「そんなら、お前ら高齢化はどうするんや」とか。「そんなら、子供はちょっとしかおらへんのに、過疎が進んどるのに、どうしてくれるんや」とかいう議論しか出てこんのです、田舎では。それに対して我々はじゃあどう言うかと言うことですよね。で、大学の先生らに「どうやって言うたらええのや」と言うてもなかなかピシッとする答えが返ってこん。「そんな都会の言うことに惑わされてはいかん」とかね、こう言うわけですわ。そこで、我々、皆で集まって考えたんですわ。その、県会議員の人らも私らに聞くわけです。「じゃあ、あんたらどうするの、原発抜きに」とかね。どうすんのとかいろんなことを聞いてくるんですよね。そしたら原発反対のもう70才ぐらいの人は「そんなもん。お前ら給料をもらっとるんだから、お前らが考えろよ」と。それでもちょっとまずいなあと、自分らで答え出さなあかんなあということで、それで、過疎化ということを調べてみるんですよ。そしたら、芦浜の現地の南島町という所は過疎化が進んどるやないかと言われるわけですよね。過疎化というのは元があるから過疎化なんですよね。元があって低くなるから過疎化なんですよね。元の人口は1万5千人おったのに、今は1万人しかいないから過疎化が進んだというわけですよ。じゃあ、元は何なんやというと、昭和30年の4月1日を元にしてますと。まてよ、おかしいやないかと、何で昭和30年なんやと。要するに4つの町村が合併して南島町になったわけです。ということは、もっと前を見ようということで、前を見てみると人口が下がっとるんですね。ズーッと考えて、いろんな人に聞いてみたら、疎開なんですわ、第二次世界大戦の後の。だから、人口6千人とか7千人とかの時からズーッと1万5千人ぐらいまで上がってる。と言うことは、元が悪いんや。人口は正常化に向かっとんだ。しかも、今、人口は止まりかけてきている。人口はこう来たけれど、止まりかけて来とるんですね。
 次に、高齢化、高齢者、年寄り殺したったらええやないかというのは無理、それは無理。でも、都会と田舎の違いはねえ。漁師なんていうのはね、80才でも90才ぐらいでもね、毎朝漁に行く者がいます。80代で漁はもう大変やけども、そこら辺のワカメやそんなんを拾うて住んでいる一も一杯おるわけです。畑仕事しとる人たちもいる。自給自足できるわけです。これをどう使うか。要するに年寄りにどう働いてもらうか。何で年寄りを60や65才で休まさないかんのやという話をしたわけです。働かさなあかんという話をしたわけです。そうするとね、たとえばね、僕らがそれに気づいたのはね、ある年寄りのおかげなんですわ。その人は99才の網元の一番親方の引退した方です。もう歩くの大変やいうので、若い20代の漁師にこう抱えられて歩いてくるんです。ピシッとして西部劇に出てくるような帽子をかぶってね。ヨボヨボですよ。やってきて「オイッ、ご苦労やな。原発、ご苦労やな」いうて、若いもんに魚を出させて「これ食うといてくれ」言うて帰っていくときに、うちにおる20代の若い女の子に「オッ」と言いながら、階段を降りていくときに、ピュッピュッとお尻を触っていくんですわ。それで皆から「セクハラじじい、セクハラじじい」と言われてたんですけども。その人がね「俺は百才まで生きるから、そのつもりでおってくれ」と若い漁師に言うとったんです。で、百才になって、数日後に孫みたいな若い漁師を呼んで、紙と鉛筆を持ってこいと言うて、紙と鉛筆を持ってこさせて、「何かわからんけども、あのじじい、紙と鉛筆を持ってこいというとったんで持っていった」と。翌朝ね、起きたら、死んどったんですわ。枕の下にね「ありがとう」と書いてあった。それで思たんです。「やっぱ、働かさないかんのや」ということで、よし、これでやろうと。だから、これで高齢化は解消。
 次にねえ、少子化ということがあるわけですわ、子供が少ないという。これはねえ、もう皆に「生め」、これしかないですわ。とにかく「生め」しか言えんぞ。で、「生もう」と。「もう俺は無理やぞ」と言いながら、やるわけですよ。「わしも、もうちょっと無理かもしれん」と言いながらも。そうするとね、増えてきたんです。ポコポコと、ちょっと増えた。たまたまかもしれんけども、ちょっと増えた。でまあ、そこそこ解消。
 あとはねえ、活性化ですよね。「活性化」というと、辞書で引くと「分子が著しく動くこと」とか書いてあるけども、ようわからん。活性化って何なのか。そこからが問題なんですよね。都会でいう「活性化」というのとはちょっと違うぞ。「活性化」を考えようやということで、今それを、原発に使うた力を全部ね、そっちへ持っていこうとしとるんですわ、僕らは。でね、楽しい。原発はあきた。楽しいんですわ。だから、もちろん、81万の署名を集めるときに皆と誓ったのは、「皆に助けてもらったのやから、助けてくれと言われたらすぐ行こう」と。絶対、我々はそう決めてますんで。「力になれる」と、まあ、そんなにすごい力になれるかどうか判りませんけども、原発に関しては我々も忘れずに。確かにね、だんだん忘れてしまうんですよね。忘れずにね、しばらくやっていこうと、それから町の活性化というものを作っていこうというのに力を注いでいこう、というのが南島町の現状です。