福井県美浜から 松下照幸さん
先ほど二人の方のうらやましいお話をお聞きしたんですが、美浜ではそんなふうな話はできませんので勘弁願いたいと思うんですが。美浜2号の事故が起きまして早10年がたちました。あの事故というのは、現地においても大変な衝撃でありまして、推進側が「ECCSとかが働くなんていうのはあり得ない」と言っておりましたし、「蒸気発生器細管がスパッと壊れるなんてことは絶対ない」と言っとったのが実際に起きたわけですから、本当に推進側の人たちも関電に食ってかかるという状況でした。事故に関するいろんな情報が入ってくるようになってきますと、何というひどい事故だったんだということが判ってきました。とくに働くべき機器が何カ所も働かないというのがありましたし、原子炉内での沸騰を隠すために装置が動作しなかったということを隠して、そういうデータの隠蔽をしてきまして、そういうのを知るに及んで、どこかでチェルノブイリとは違って日本の原発はまだいいんかなと、心のどこかにそんな信頼があったんですが、完璧に吹っ切れて、日本でも事故は起きるんだということがあの事故を通して皆思い知らされたというふうに思っています。私自身、事故の連絡を電話で受けまして、すぐテレビを入れましたところ、午後1時過ぎだったと思いますが事故が起きて、6時頃のニュースで初めて知ったようなわけです。だけど、事故というのは常に隠されるということがありましたので、ECCSが働いて本当に事故が収束に向かっているのかというのがとても信用できなくて、心臓がドンドンするという状況になりました。全国からもドンドン電話を頂きまして、話をしているんですが、心臓の鼓動がひどくてひどくて、話をしていても、むせてしまうというような状況になりまして、家族としてはちょっと逃げる準備まで始めたというのが、美浜2号事故の状況です。事故が起きた後もですね、何度も新聞記者とか見知らぬ人がドンドン家の中に入ってきまして、いろんな情報を僕らの所へもくれたんですが、まんまと騙されるような情報もありまして、あの人、本当に新聞記者だったのかというのが後になって疑われるような人もおられました。運転員の操作をやった後のプリントアウトされたやつが、某社の新聞記者だという人から渡されまして、それを京大の先生達に見てもらってチェックしてもらったんですが、どうもこれはウソだというのが判りまして、そういう意味ではああひどい人たちもいるなというのが事故の直後に感じました。そういうのを通してですね、チェルノブイリの直後には僕らもこれが美浜町の未来だということで僕らもすごいショックだったんですが、それでも美浜2号事故が起きるまでは、いやまだ関電の原発は大丈夫なんじゃないかという思いもどこかにありまして、非常にのんきな反原発をやっていたんですが、チェルノブイリ事故以降、それから美浜2号事故以降、真剣に勉強をし始めまして、そういうところに若狭ネットのメンバーと出会うということになりました。僕は畑いじりとか、山へ行くのが大好きで、土日はいつもそうやっていたんですが、土日になるといつもそのメンバーの人たちが誘いをかけてくるんでですね。ちょっと、逃げようかなとも思っていたんですが、一生懸命な姿を見まして、だんだん、だんだん仲間に入っていくという状況になりまして、今は私の畑も荒れ放題と言いますか、なかなか仕事ができません。そういう中で、印象に残っているのは、二つの県民署名をやり遂げたということですね。「福井県にこれ以上の原発はいらない」という県民署名と「もんじゅを二度と動かさないでください」という県民署名をやりまして、20万人を優に超える署名を獲得できました。それが一番、僕の中で印象に強いものです。土日に泊まり込みで、県庁のある福井市の方へ行ったり、武生市の方へ行ったりするんですが、月曜日になると頭がガンガンしてまして、火曜日になるとちょっと戻って水曜日に平常心に戻る。初め何でこんなに頭がガンガンするのかなと、初めは気がつかなったですね。よく何回かやるうちにこれは署名をやっているからやないかなということが判って、月曜日は本当に胸が悪くなってね、頭がガンガンするぐらい。そういうのがありました。
美浜事故以前は数名のメンバーと敦賀市でやっていたんですが、美浜2号事故が起きまして初めて、自分の村200戸ぐらいの集落なんですが、そこに初めて新聞のビラ入れをやりました。それは本当に初めてでありまして、私と上の娘、嫁と下の娘が二手に分かれまして、夜を待って、おそるおそる、入れに行ったんです。美浜2号事故当時の僕らの存在というのは、そういうものだったですね。
ところが、今はもうぜんぜんそうではなくてですね、いろいろと話を聞いてきたりとか、原発労働者が僕の所へ訪ねる場合もあります。そういう信頼関係ができてきたと言いますか、そういう時代に変わってきました。これはもう僕は本当にうれしく思っています。その後、また、もんじゅの事故が起きまして、あの事故を見ておりましたらですね、これは本当に殺されるという思いがありまして、議会は何をやっているんだという思いがあってですね、以前から、もう10年以上前から誘われてはいたんですが、性分に合わないということで断っておりまして。その事故の後、議会へ挑戦するということになりました。これは私だけではできなくて、家族が決意したわけでありまして、本当に大変な選挙でした。しゃべるとちょっと涙が出そうになるので、もうやめときますけども、大変でした。でもかなりの票を頂きまして、真ん中ぐらいで当選することができました。そういう意味でも、美浜町の人たちの意識が本当に変わってきたなというのがあります。
で、議会に入りましても、一般質問をやるんですが、1時間の持ち時間のうち40分ぐらい、議会で、原子力の問題であるとかを、町長、課長あるいは今、職員が傍聴しているんですが、そういう人たちに向かって原子力の講演会みたいな形で40分間ぶっ続けにしゃべるんです。そういうのをやって、もうほとんど再答弁ができない時間になってしまうんですが、それでもヤジ一つ飛ばないという美浜町議会の状況があります。もちろん、ヤジが飛んだら、私の方から直接また後で質問に行きますが、一辺もまだないです。そういう意味でも、皆、結構判っている。ただ、今までの地方自治のやり方をやっているとどうしても財政が圧迫されてきて、それに権力の側がずっとうまい話ばっかりしてきたので、それに乗っかっているというのがあるんですが、本音としては原子力は駄目だというのが、議員であってもほとんどの方が思っているんではないかと思っています。
その後、僕も本当は先ほども言われましたが、原子力ばっかりやっているといやになってきまして、地域を何とか元気にしたいというのもありまして、来月の3月で会社を辞める手続きをとりました。美浜町で山菜を育てたりとか、森が好きなんで宿泊施設を作ったりする事業を家族で始める決心をしまして、4月から準備を始めます。また、よろしかったら、暮れぐらいには建物が建つと思うんですが、私の好きなことをしながら、原子力の問題もやるということに今後の私をかけています。
あと、原子力産業が本当に衰退する時代に入ってきているというのがはっきりわかる時代に入って来ていまして、それを考えるだけでもワクワクしてきます。マイクロガスタービンとか燃料電池なんかの技術が結構進歩してきまして、先日もNHKで2回放送されておりましたが、おそらく電力会社としてはですね、もう尻に火がついたという状態になったんではないかと私は考えています。そういう中で電力の自由化が部分的に始まっているんですが、その中で定検短縮がすごい形で進んでいまして、そこで働く人たちの手抜きもありますし、昼夜連続でやりますので非常につらいんですね。それで、原発労働者の方が僕の所へ来られまして、「この状態を何とかしてほしい」と、「一般質問で言ってくれ」ということまで言ってきまして、一般質問でやりました。で、そういう状況になってきておりまして、逆に言いますと事故が非常に起こりやすいという実態になっているんではないかと思います。我々のところでは、絶対に手は抜けないというふうに私は思っております。
それから、今、政府がすごい借金を抱えておりまして、その借金の8割が地方へ出ているという実態になっております。ですから、地方へ交付税であるとか補助金の支出がグッと圧迫されてくるというのが見えてきました。ですから、それに何とか対応しようという自治体と、いやいやまだ原発に頼ってそのおこぼれに預かろうという自治体とが、原発立地町なんかでは出てくるんですが、美浜町なんかはまさにそうで、敦賀もそうなんですが、美浜でも「また原発を欲しい」という声がちらほら聞こえてきます。関電もそういうふうな動きをやっているんですが、毎日新聞で「関西電力は変わる」という連載記事が10回以上あったと思うんですが、その記事を読みますと、とても増設できるような実態ではないんですね。関電の社員向けに二つの冊子が配られまして、それを新聞報道していたんですが、それを僕も要求しておりまして、明日やっと関電の社員からもらう予定なんですが、良ければまたお届けいたします。本当に関電内部の厳しい状態を社員に向けてすごく説得している資料です。明日、手に入るようになっておりますので、もし良ろしかったら若狭ネットを通して申し込んでください。そういう意味で、地方自治の財政事情が非常に圧迫してきまして、美浜町も数年先には非常に危ないというのを行政の幹部から聞きまして、「だから増設したいんだ」という話をしたんですが、とんでもないという話をやりました。おそらくまた、3月以降、具体的な話が出てくると思うんですが、電力側はそんなにやりたくないと思っていると思うんですが、実際は、本当にもう土俵際の闘いで我々も勝負する時代に入ってきたなというのを非常に強く思います。
大きな流れと言いますか、二つの県民署名をやってみて思ったことは、もう増設をしたり、もんじゅを動かしたりするということに対して福井県の世論としては「もう絶対駄目だ」と、世論としては圧勝しているという状況になってきています。まだ時間はかかるかもしれませんが、時代が本当に大きく変わりつつあるというのは、現地では、美浜町で本当に、以前は孤独感を味わっていたものですが、今では、そういう時代がよく見える状況になってきておりまして、今では本当にわくわくする毎日を過ごしております。そういう意味で、今後とも、皆さんとも都市部の皆さんとの運動を模索しながら、私自身は負けないように頑張り続けていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
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