福井県敦賀から 増田 悟さん
 
 敦賀から来ました増田です。この10年を振り返るテーマだと思うんですが、私が敦賀に戻ったとき25〜6才で、もうほとんど20年ほど前の話なんですが、敦賀2号炉の増設の話が出ていて、そこでデモがあったり、反対運動も少しはあったり。当時は総評でも社会党でもまだ元気な時代でしたから、そういう連中が動いてて、目立つ反対運動もあったみたいな格好ですが。そこから20年経ってみると、そういうレベルでの運動はすたれてきたし、私たちも県民会議とか敦賀市民の会であるとかいう、割と組合を主体にしてた反対運動と一緒にやってきたという経緯があるんですが、ずいぶんそういう運動が難しくなって、逆に、若狭ネットができて、現地の人間も若狭ネットで結集して何かをやる、現地で何かをやるというのが主な活動になっているという、ある意味では、情けない話かも知れませんが。私の中では、もともと組合の人間じゃないんで、組合の人間と一緒に運動をやっていくということ自体ができなかったという反省はあります。
 敦賀3・4号炉の話になりますが、毎日新聞で最初の記事が出たのが1992年で、だいたい10年前。最初私たちは1993年頃新聞折り込みで敦賀市民に対してアンケートを取って、そのアンケートの結果を見て、「あ、これなら何かできるな」というようなことがあって住民直接請求署名みたいなことを始めようとしたんです。それは議会で蹴られたというか、否決されて、そのあと県民署名につながって行ったわけですが、今県民署名が20万、大体両方とも取ってますし、当時の高木敦賀市長は「20万を超えた署名というのは、中学生も署名している。高校生も署名してるんじゃないか」と言ってました。今考えると、彼たちはすでに成人している(場内から笑い声)。すると、20万という数はわけの分からない中学生とか高校生じゃなくって、彼らが今でもそうやって思っていてくれるんなら、その数はすごく堅いものとしてあるというふうに私なんかは思います。でも、知事とか今の市長というのはこの20万の数字を忘れよう忘れようというふうな格好で、ここ2、3年しばらく鳴りをひそめて、いろんな事故があって、増設の話も、もんじゅも、表に出せなくてというところがありますが、ここへ来て敦賀3・4号の増設、あるいはもんじゅの運転再開というのが煮詰まってきています。取れるものを今のうちに取ってしまおうという、たぶん、栗田知事の思いがあるんだと思います。新幹線あるいは福井空港、そういうものと引き替えにして増設を認めていこうみたいな格好になってきていると思います。そういうのは誰が見ても取り引きだというのがはっきりわかるんで、それはあんまりしない方がいいんじゃないかなという気はするんですが、ほかに地域を活性化させるアイデアをたぶん彼らはもう、持ってないんだろうと思いますね。ただ、新幹線にしろ空港にしろ、そうそう簡単に国がOK出せるもんでもないし。出せたとしても空港なんか反対運動が強くってできそうもないんですけどね。栗田知事あと何年あるのか。2年かそこらかな。それまでに道筋を付けて、空港は栗田氏が知事になる前からの問題でしたから、そういうところへきちんとした道筋を付けて終わりたいという、どうしてそれが花道になるのかわからないんですけど。
 今、3・4号炉は環境影響調査の準備書というのが閲覧されてまして、この間の16日までで終わったんですかね。こんどはそれの評価書というのを出していよいよ安全審査というところへ行こうとしていますが、そのゴーサインを知事とか敦賀市長がどの辺で出すかというのが、今度の議会が相当危ないんです。私は年に何回もないんですが、1年にいっぺんあるかないかくらいですけど、知事に会って話ができるという状態が何年か前にありました。会うたびに原発を最初に選んで30年たった福井県が最初にやめていくべきなんじゃないかという話を機会があるたびにするんですが、どうも福井県は最初に始めて最後までそれにしがみついていくんじゃないかという気がしてまして、さきほどの芦浜の方とか日高の方みたいに、これから先まだ何十年か明るい未来という所にたどり着くのに、大変な気がしてるんです。30年たっていますから「時効だよ」って言ってもらえるまでにひょっとして30年かかったらどうしようかと、それこそ世代を越えてしまうような話になるんで。
 原発現地はどこでもそうでしょうし、どこが最初にやめていけるかみたいなことは、たぶんどこでもなるべく引っ張って、現地の行政とか事業者とかはなるたけ引っ張りたいんだろうとは思ってますけど、やっぱり本当は先鞭付けたところが最初にやめるというインパクトは欲しいなあと思います。その前にたたけるだけたたく。みなさんの力をお借りしてたたけるだけのことはしたいというふうな気はしています。