チェルノブイリ15周年交流企画に参加して
心地よい疲れを頂きました
 
                               若狭ネット 久保きよ子
 
 
 4月16日、ベラルーシ共和国からチェルノブイリ原発被災者(高汚染地区からの移住者)エフゲーニヤ・フィロメンコ(通称、ジャンナさん)とタチアーナ・ラギーラ(ターニャさん)を招きました。ジャンナさんは、移住者の会の代表をしておられ、ターニャさんは、移住者の会の事務局をしておられます。彼女たちは、日本に着いてから、兵庫県の宝塚を始め、広島、福井、大阪の藤井寺・松原・東住吉・天王寺・生野、奈良での交流会、梅田ビラまき・関電申し入れ、東海村とぎっしりとつまったスケジュールを無事こなし、4月30日、関空から一路ベラルーシへと帰られました。私は、藤井寺での歓迎を始め、関電交渉、東海村とおつきあいをし、昔からのつきあいをしていたかのように親しくなりました。ターニャさんたちは、私の家を訪問し、日本の住まいや設備を見ておられ、さらさらと似顔絵も描いていらっしゃったので、とても気さくな方との印象を受けました。ちなみにターニャさんは美術の先生です。
 4月26日には、12時から梅田阪神前でジャンナさんとターニャさんたちと12名で、「繰り返さないでチェルノブイリ! 原発止めよう」の内容のビラまきをしました。彼女たちは、イタリアでもビラまきに参加したことがあるとのことで、行き交う人々に1枚ずつ手渡しました。
 その後、梅田から関電本社まで横断幕・キルトを広げてデモ行進をしました。関電では、参加者が30名に増えていました。関電側は、庄野広報部長・小松マネージャーが対応しました。まず関電の方からチェルノブイリ原発事故についてどう認識しているのか庄野部長から聞く。「チェルノブイリは大きな事故、深刻な事故。チェルノと日本のでは構造が違う。技術的な問題、原子力の平和利用と安全は、第一に考えている。事態が起きたときは最小限にくい止める」と、マニュアル通りの回答。
 ジャンナさん(60キロメートルで被災)、ターニャさん(150キロメートルで被災)と共に力強く訴えられたことは、「原子力の平和利用の名の下で多くの人々が放射線ヒバクで苦しんでいることを認識してほしい。美浜原発のPR館を見学して技術的、先進的安全性の高さをPRしていたが、100%安全であるという専門家はいないのではないでしょうか。狭い敷地にいくつも並んで建っていたが、いつ何時人類の武器になるのではないか。」と、おっしゃっていたことが、印象に残ります。
 ひとたび事故が起こると後からでしか対応できないこと、15年経っても深刻な被害は増えることはあれ、癒されていくということがなく、未来の大人たち(こどもたち)は、今なお苦しめられ続けているということを聞くたびに、人類の愚かしさを感じるのは私だけでないはずです。移住者の心休まるときはいつになることでしょうか。日本で起こっている原発推進を1日も早くやめさせないと、繰り返してしまったチェルノブイリにきっとなることでしょう。そうしないためにもこれからも粘り強く訴えていかねばなりません。
 体の疲れは最高潮ですが、新たな友人を迎えることができ、二人に勇気づけられたこの2週間でした。 
ノーモアチェルノブイリ! === 4/20今立町 ===
タチアーナさん、エフゲーニャさんを囲んで
=== 4/21鯖江市 ====== 原発に未来はない!
 
  
 ベラルーシのお二人を迎えての交流集会については、事前にマスコミ各社が大きく報道してくれたので、当日の参加者の多寡にかかわらず、広報の効果は大きかったと思います。
 さらにその上、丹南地域(7市町村)に約4万枚の新聞折り込みチラシを入れました。
 表立って活動している私たちの人数は限られていますが、こうした活動の世論に与える影響の意味は大きいと思っています。
 ベラルーシのお二人を迎えるにあたって、初日(20日)夜の会場を今立町にしたのは宿泊地(拙宅)の近くで楽だから、翌日の鯖江会場については元気印の主婦・江端久美子さんにお任せできる、という理由からでした。
 さて当日。今立の会場には40名以上の、それもほとんどが初めての人たちの参加で活況を呈しました。質問も活発に出され、「敦賀・若狭の原発でもし事故が起きたら」というような、福井の原発を意識した質問が、やはり多く出ました。
 この日は、「ぬくもりの会」という不登校の子を持つ親たちの、月に一度の会合(同じ会場)の日でしたが、、それを変更してもらっていましたので、その会からも2名ばかり参加がありました(私や五十嵐さんも入れると4名ですが)。そのうちの一人、福井市の女性が、「子を持つ同じ親として、ベラルーシの皆さんたちの悲しみを痛く感じました。私たちに何かできることはありますか?」と問われました。
 彼女の問いかけに対するお二人の返答を僕は今、よく覚えていないのですが、「私たちの悲しみを理解していただけてとても嬉しい、感謝します」というようなものだったと思います。
 ところで、参加者と意見を交わしていて気になったことですが、セシウムやストロンチウムの汚染の影響がほぼなくなるのは数百年後、ということが(一部のマスコミの人にさえも)よく理解されていないようです。たとえば、EM菌などで無害化できないものだろうか、という素朴な意見を述べられる方も(講演の終了後)おられました。
 翌日の鯖江会場の参加者は約25名でした。実は、鯖江のほうが多いだろうと期待していたのですが・・・、しかし、こちらの会場でも、初めての方ばかりで、その点で今回の催しは成功だったと満足しています。
 江端さんは、環境問題に関心の深い「地球村」の会員が一人も来ていないことを残念がっていました。僕は彼らが環境問題の本質を見極めようとしないから問題に対する認識が深まらない、だからむやみに「反対する運動」を怖れるのだと思います。環境問題を考える上で必須であるはずの、人権や自治の視点が欠けているのだと思っています。が、どうしたら理解してもらえるか、僕にはわかりません。
 先日(5月1日)、私の地域の新聞にめずらしく日本原電のパンフが折り込まれました。敦賀地域に配布されているもので、丹南地域にまで配布されることは過去にはなかったものですが、原発推進の焦りが伺えるようです。
(今立町・山崎隆敏)