関西電力の小・中学生向け冊子・ビデオ批判
エネルギー多消費社会を前提に、原発の危険性を隠ぺい
 
 1997年に京都で開催された気候変動枠組み条約締約国会議(COP3)以来、日本でも地球環境問題への関心が深まり、1999年のJCO臨界事故を境に、国民の原子力批判の声は強まるばかりです。
 関電や電事連は今や、環境・エネルギー問題の大幅なゴマカシと目くらまし抜きには、原子力を宣伝できなくなっています。これを批判し、宣伝をやめさせる必要があります。
 ここでは、関電が1997年につくったビデオ「中学生と資源・エネルギー・環境」(企画:関西電力、制作:毎日EVRシステム)と、2000年9月発行の「小学5年社会科・総合的学習資料 エネルギー資源と電気」(協力:関西電力、執筆:エネルギー教育研究会、監修:近畿小学校社会科教育研究協議会)を例にとって、その卑劣なやり口を見てみましょう。3月28日の交渉でも関電が事実上認めたように、両者とも大阪府教育委員会が知った上で、制作され関西の各校に配布されており、府教委の責任も問われます。
 
原子力を止めれば終わり?電力需要が「ふえつづける」?
 
 「小学5年社会科・総合的学習資料 エネルギー資源と電気」は5年生が授業などで使うことを目的としてつくられました。
「1.くらしや産業をささえるエネルギー」
「2.限りあるエネルギー資源」
「3.これからのエネルギーを考える」
の3部構成で、表紙など16ページから成っています。
 1では、「エネルギー利用のうつりかわり」として200万年前の人類誕生から火、水力、風力、牛馬、石炭、石油などを経て「原子力のエネルギーが使われるようになったんだ。ゆたかで便利な社会になるために技術も発展するんだよ」として、社会が「ゆたか」になった側面のみを強調しています。
 関電管内の発電電力量では原子力が51%をも占めていると強調していますが、これは火力を止めて原発を常時動かしているせいです。火力や原子力の発電能力(発電容量)で比較すれば、関電の原子力は1/4程度に過ぎません。電力の予備率を考慮すれば、夏場のほんの一時期を除いて、原発を止めても電力不足になることはないのです。それを隠そうとしているのです。
 強引にゴマ化した説明もあります。1996年度をピークに減り続ける発電量のグラフがしっかり掲載されているにもかかわらず、そのページの最初には「ふえつづける『電気使用量』」との表題が付いています。使用量が減っているのに、その横で漫画の男性が「ふえたといっても電気は貯えておくことができない」との吹き出しで、チンプンカンプンなことをしゃべっています。その上には、ピーク電力が漸減しているグラフさえ示されています。小学生たちはさぞや戸惑うことでしょう。
 
「何億年前からの話だゾ」「なくなるゾ」「外国に頼ってるゾ」子供を脅す発想しかない関電
 
 2の「限りあるエネルギー資源」では、甲冑魚が泳ぎ木性シダが繁茂する3.5〜1.3億年前から年月をかけて石油や天然ガスが生み出されてきたことを、漫画で示しています。「だから大切に使おう」などとの教訓じみた呼びかけもなく、横にはこれとは何の連関もないのに、石油、石炭、ウラン、液化天然ガスの埋蔵量が、石油はあと「約43年しかないゾ。もう、なくなるゾ」とでも言いたげに、数字で示してあります。
 何億年もかけて出来た石油を、先進国が浴びるように浪費してきた結果、このままではあと43年ほどで使い果たしかねない。その先進国としての真摯な反省の弁はどこにも見られません。日本の一人当たりエネルギー消費量も、北アメリカ、オセアニアに継ぎ、ずば抜けて高いことを示すグラフを載せているだけです。
 その隣のページの世界地図では、昔ながらの、「中東への石油依存度が高い」という話。日本はエネルギーの79%を輸入に頼っており、ドイツの60%、アメリカの22%より図抜けて高いことを示すグラフ。ここでも、日本のエネルギーは外国の資源のおかげなのだから、大切に使おうというわけでもないのです。
 子供たちを数字やグラフでビックリさせ、「ゆたかな生活にはエネルギーが必要だ」「エネルギー資源には限りがある」「どこかの国に依存するのは危険だ」と脅かすだけの、幼稚で危険な発想でしかないのです。
 
CO2排出を減らす手も、気もない関電 新エネルギーにはケチつけばかり
 
 3の「これからのエネルギーを考える」では、環境問題を前面に打ち出しています。
 しかし、環境問題と言いながら、JCO事故やチェルノブイリ事故には一言も触れられず、原子力事故や原子力を利用することに伴うヒバクシャへの思いや放射能汚染のことなど一切書かれていません。
 また、水力発電にも関係する、ダム開発による自然破壊の実態も触れられていません。
 また、これからのエネルギーを考える場合、エネルギー消費の面からの評価が重要ですが、その点はスッポリ抜けています。
 日本の火力発電所では、硫黄酸化物や窒素酸化物の単位電力量当たりの排出量が欧米に比べ、10〜20分の1ほどしかなく優秀であることを示し、その話のついでにCO2を集めて新しい燃料をつくるという地球温暖化の解決策を誇らしげに示しています。
 しかし、よく読んでみると「二酸化炭素を集めて、新しい燃料へリサイクルする研究もしているんだよ」とあります。ご丁寧にその研究施設を写した写真まであります。「取らぬ狸の皮算用」よろしく、まだ海のものとも山のものともわからない研究の話を示して、火力発電からのCO2排出の責任をごまかそうとしています。
 もっと大事な問題は、CO2の問題をエネルギー供給の面からのみ捉え、エネルギー需要から捉えていないことです。
 最初から日本全体のエネルギー消費の抑制を考える気はないのです。この冊子は関西や日本のエネルギー需要を減らさないために作られたと言っても過言ではありません。関電と、経済産業省など日本政府の本音が透けて見えます。
 最後に新エネルギーに触れています。太陽光電池(太陽光発電)に関する長所、短所を列挙した横で、さきほどの漫画の男性が吹き出しの中でこうささやきます。「太陽電池を全国の戸建住宅の約半数が屋根につけても、発電量の4%をまかなうのが限界」と。しかし、ふつうの家に太陽光発電の施設を付ければ、その家の電力需要を賄えるどころか、売電できるほど発電できるのです。この冊子は太陽光発電が日本の家庭の消費電力を十分まかなえることを意図的に隠しています。
 風力発電については「自然の気まぐれな風をいかに効率よくとらえるかが技術上のポイント」とケチをつけています。太陽光発電や風力発電はそれぞれの特徴に応じた使い方をすれば、十分その役割を果たすことができるのです。何よりも安全でクリーンです。
 自動車業界も巻き込み、世界的に研究が進む燃料電池についても「化学の力で、水素と酸素から電気を取り出します」と、記述は素っ気なく軽い扱いです。現行の発電方式への有力な対抗馬を子供たちの目から遠くそらそうとの思惑がありありではないでしょうか。
 また、最後に火力、水力、原子力の長所、短所を表にまとめています。原子力の欠点として「放射線を安全に管理することが必要」「核燃料の最後の廃棄物を処分する場所が決まっていない」の2点を示していますが、奇妙なことになぜそうなのかが書かれていません。重大事故の危険や核廃棄物の危険には言及されないのです。JCO事故から1年目に出されたこの冊子にはJCO事故やチェルノブイリ事故による人的被害はもとより、美浜2号での蒸気発生器細管破断事故、もんじゅ事故、東海村アスファルト固化処理施設の火災・爆発事故などには一切触れられていません。これは全く不自然です。小学生だからとタカをくくっているのでしょうか。
 しかも、原子力の欠点として上げた2点ともウソとゴマカシです。原子力施設で「放射線を安全に管理」することは無理です。今年3月に発表された原子力安全白書は次のような衝撃的な表現から始まっています。「原子力は『絶対に』安全」とは誰にもいえない。原子力施設で事故が起こることを婉曲な言い方ではあるものの、認めたのです。そして国民に「それでも放射線による被曝を我慢せよ」との本音を示したのです。
 また、「廃棄物を処分する場所が決まっていない」のが問題なのではなく、何万年と放射能が続く核廃棄物を安全に処分(埋め捨て処分)できる場所など世界中のどこにもにないことが問題なのです。安全に「処分」できない危険な核廃棄物を大量に生み出す原子力を利用することこそが問題なのです。この冊子はこれを問題のすり替えでごまかそうとしているのです。
 関電の子供をなめきった卑劣な態度に、多くの人から非難の声を集中していく必要があります。
 
「エネルギーをたいせつに」はただのポーズ
 
 冊子の結論はこうです。「エネルギーをたいせつに ---- 節電 ---- わたしたちにできること」。さきほどの、何億年前の話、石油の海外依存度が高い問題などとは無関係に、突然「エネルギーをたいせつに ---- 節電」が始まるのです。なぜ、エネルギーを大切にすべきなのか。何の説明も、何の理由付けもありません。なぜでしょう?
 もともと、関電はそれを説明する気がないからです。エネルギー節約は関電にとって困るからです。
 都市や工場の大規模な電力消費を削減し、エネルギー消費を進めるような商品の製造、トラックなど自動車による輸送などのエネルギー消費構造のかかえる本質的な課題はここでは全く扱われていません。
 そこで編み出した妙手は「わたしたちにできること」。身近な節電の重要さを強調するのは大切ですが、小冊子はそれに止まり、家庭の外でのより大きな節電や大量エネルギー消費の節約に目を向けようとはしません。「わたしたち」が身近な節電だけに目を奪われているうちに、都市や工場の電力消費は減らないまま、オール電化ハウスやエコアイス、電磁調理器などを進め、電力消費量を維持し、増やそうという戦略です。
 関電は冊子の中で、待機電力が家庭での電力消費の約10%にも当たることを示し、消費者に節電の「責任」があるかのような演出をも行っています。
 
中学生向けビデオでは環境問題は難しい?
 
 「中学生と資源・エネルギー・環境」は中学生5人が登場する、ビデオ作品でCOP3の年につくられたもので、環境問題をいかにゴマ化すかが主要なテーマです。
 中学生5人が各地の施設を訪ね、資源・環境・エネルギー問題について実地の実物に基づく学習を行うという設定です。
 最初に、5人の中学生の内、京子という生徒の元家庭教師の大学生が現れ、ビデオレターの中で京子に話しかけます。
 「中学生は中学生の見方で調べるというか、自分達の実感を大切にするのが、ベストかなあ」「中学生は高校生ではないし、大学生でもないよね」「自分の理解力の中で調べたりするのが一番良い」「資源、エネルギー、環境の問題は結構むずかしいから、わかりにくいことがきっとあるかも知れないけど、それでも良いじゃない」
 「実感を大切にする」「資源、エネルギー、環境の問題は結構むずかしいから、わかりにくいことがきっとあるかも知れないけど、それでも良いじゃない」というのは、このビデオ全体を貫く関電側の意向です。「エネルギー、環境問題は難解だ」との位置付けを最初にしておいて、「だから実感を重視しよう」と呼びかける。「難しい。難しい」と言って、真実をアイマイにしたいのです。また、「実感」に訴えるのは、見えず、聞こえず、臭わない放射能にかかわりたくないからです。
 中学生として当然学ぶべき労働の実態として、原発の被曝労働にも全く触れていません。
 中学生達は、米穀店で石炭に触り、灯油を見る。蒸気機関車で燃える火を見て「すごい臭い」と実感を述べ、石炭への嫌悪感を提示する。ガラス瓶の中で沸騰する液化天然ガスを見ながらLNG火力の簡単な説明を聞く。
 引き続き、熊取町の原子燃料工業株式会社。2人の中学生は防護服を着て、ウランペレットを間近に見る。ビデオを見た中学生にウランを身近に感じさせようとの目論み。出演した2人はいい迷惑。原発内での分刻みの被曝労働で多くの労働者が放射線に被曝しなければ原発を運転できないことなど一言も語られません。JCO事故やチェルノブイリ事故で見えない放射線によって犠牲になった労働者や消防士の話はどこにも語られません。
 資源の確認埋蔵量を示したあとで、京大の教授があらわれ「石炭・石油がなくなればその後何万年もそれがない時代が続く」と脅す。産業革命後エネルギー消費が急上昇していると、グラフが示される。
 水力、火力、原子力の長所、短所の比較は小学生向け冊子と同じ論法でゴマ化しました。CO2の問題のすり替えも冊子と全くいっしょです。
 最後はやはり「私達にできること」に行き着きます。「なんや、地球温暖化って、ピンとけえへんなあ」「砂漠化、フロンガスによるオゾン層の破壊。もっとピンと来る勉強の仕方ってないかなあ」「例えば、石油って限りある資源やから、これからも今までの調子で使っとたらどうなるのかな。私達に今できることって、ないんかなあ」
 「環境問題」は「ピン」と来ないから学習をそこで停止し、「私達に今できること」にすり替える。巧妙な手口で関電は中学生を導こうとしています。
 最後に、彼らは六甲新エネルギー実験センターを訪れ、風力発電と太陽光発電の実験を見学。男子生徒が刻々増減する風力発電の発電量を読み上げ職員が「非常に不安定」と否定的に評価して次の太陽光発電に。
 「今日は雨が降っています。どのくらい電気が取れると思いますか」「全然取れないと思います」「そうですね。ほとんど取れておりません。雨の日はほとんど取れない。曇っておりますと約2割程度の電気が取れるんですが、今日のように完全に雨ですと全く取れません」
 取って付けたような中学生と研究員の会話。小学生用冊子の場合と同じで、新エネルギーに敵対しようとする関電の姿勢が如実に現れています。こんな教材で子どもが教育されるのかと思うと、ぞっとします。