2000.10.15 「反原子力デー」に向けた反原発のつどい
「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画(案)」批判
1.長計(案)策定の背景
(1)矛盾に満ちた原子力政策、現行長計の破綻の中での長計(案)策定
日本の原子力政策はここ数年にわたる以下の出来事の噴出により、現行長計は破綻しています。
@新型転換炉実証炉計画の中止と原型炉「ふげん」の廃炉決定
A高速増殖炉「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故と動燃の改組
B東海再処理工場アスファルト固化処理施設での火災・爆発事故
C建設費高騰と設計変更による六ヶ所再処理工場建設の大幅遅れ
DMOX燃料/使用済ウラン燃料輸送容器データねつ造事件と、それに続くBNFLデータねつ造事件によるプルサーマル計画の大幅延期
E敦賀2号一次冷却材漏えい事故
F日本の原子力史上最悪のJCO事故
G原発新増設計画の行き詰まり
H電力自由化の下で加速される原発の経済性喪失、その下での経済効率化・安全規制緩和による巻き返し
Iアジア等への原発輸出の困難・台湾での破綻
J阪神・淡路大震災による原発直下地震の恐怖と伏在活断層によるM7クラスの鳥取県西部地震、地震予知連絡会が「西日本は地震の活発な時期に入った可能性が高いので注意が必要だ」と発表(10.11)
K総選挙で顕在化した、国から地方へのバラまき行政と硬直した「公共事業」に対する都市部での批判
L欧州での脱再処理・脱原発の動きと日本への影響、英・仏の再処理・MOX事業における日本の決定的役割
原子力委員会によって1999年5月18日設置が決定された長期計画策定会議(座長:那須翔東京電力会長)は、1994年6月に発表された現行長計に代わる新たな長計策定のため約1年3ヶ月にわたって調査審議を行い、2000年8月11日に長計(案)を発表しました。
どれ一つとってもうまくいっていない現行長計を何とか立て直そうと、政府は批判派・反対派をも含めた合意形成を目指し、長計策定作業を行っているのです。
現行長計決定後、1995年1月に阪神・淡路大震災が勃発し、直下地震に弱い原発の耐震性が問われました。その結果、原発の今の耐震設計審査指針では、直下地震としてM6.5の小規模な地震しか想定しておらず、しかも、震央付近で地震動を切り下げる恣意的な操作をしていることが明らかになりました。そして、地震断層が地表になく過去に一度も地震が起きていない場所でも、M7クラスの直下地震は起こりうること、そのような地震が原発直下で起これば、今の原発は耐えられないことが明らかになりました。先日の鳥取県西部地震はそれを裏付けています。
その後1995年12月8日に起こった高速増殖炉(FBR)もんじゅのナトリウム漏れ事故は、もんじゅの設計・安全審査・運転マニュアルの欠陥を明らかにしました。破断したナトリウム温度計には明らかな設計上の欠陥がありました。安全審査では150トンのナトリウムが漏れても安全だとしていたにもかかわらず、実際には安全審査の予想を超えて温度が上がりました。また、再現実験では、わずか2〜3トンのナトリウム漏れで床の鉄板に大きな穴が開き、床下のコンクリートと漏えいナトリウムが反応して事故が拡大する危険のあることが明らかになりました。また、安全審査ではナトリウム漏えい時には換気系をすぐ閉じて事故の拡大を防止するよう求めているにもかかわらず、動燃(現「核燃料サイクル開発機構」)は、ナトリウムをドレンし終わるまで換気系を閉じないように運転マニュアルを勝手に作り変えていたのです。
動燃では、もんじゅ事故に続いて、東海再処理工場アスファルト固化処理施設での火災・爆発事故や新型転換炉ふげんでの重水漏れ事故などが続発し、日本でも国民の間で原子力への不安が確実に浸透していきました。
それらは当時の政府部内にも反感を呼び、1997年度予算案決定過程にあった大蔵省からはもんじゅ廃炉や動燃解体を求める強硬論も露わになりました。
しかし、行革・省庁再編の動きの中で1997年6月頃から科技庁サイドの巻き返しが始まり、1997年1月に設置された高速増殖炉懇談会では同年8月から動燃の抜本的「改革」、もんじゅ再起動の意見が露わになり、急転直下、12月の最終報告書はもんじゅと現行長計を生き返らせるものとなりました。
ところが、その後1998年10月に、MOX燃料や使用済燃料を運ぶ輸送容器で中性子遮蔽材レジンのホウ素や水素含有量のデータ改ざん事件が発覚し、再び原子力への不信が強まりました。データを改ざんした原電工事は解散し、親会社の日本原子力発電に吸収されました。中性子遮蔽材レジンに製造欠陥のある輸送容器は、作り直さず、改ざんデータに合うように設計仕様の方が修正され、形式だけの「安全審査」でそのまま使われることになったのです。このようなMOX燃料輸送容器で英国から無理矢理運んできたMOX燃料そのものにも、データねつ造がありました。今回発覚した英BNFLによるMOX燃料ペレット外径データねつ造事件は、当面のプルサーマル計画を中止させただけでなく、原子力産業の経済性優先・安全無視の腐敗した状況が国際的に蔓延していることをあからさまにしました。
そして、中性子ヒバクによって初めて2名の死者を出した、1999年9月30日のJCO臨界事故は国民の原子力への「信頼」を決定的と言っていいほど掘り崩しました。
この数年間に起こった以上の事件、事故は現行の長計がうまく行かないどころか、原子力が現にいい加減な形でしか進められていないこと、そうでしかあり得ないことを明白にしました。長計は完全に破綻してしまったのです。このような中で新長計の策定が昨年5月開始されたのです。この策定作業を開始した矢先に勃発したJCO事故は策定会議にとっては衝撃的でした。
(2)世界的な原発・プルトニウム政策の後退、撤退
1979年のスリーマイル島(TMI)原発事故後原発の新増設が困難となった米国や脱原発を決めたスウェーデンに続き、欧州各国でもチェルノブイリ事故後、原発事故への強い懸念が広がりました。また、FBRの経済的見通しの喪失や重大事故の危険性のため、独・英・仏が相次いでFBR開発から撤退しました。これらを契機に、欧州各国で、プルトニウム利用からの撤退・後退や脱原発が相次いでいます。
これらの動きは、日本の原子力・プルトニウム利用政策にも影響を及ぼさざるを得ません。日本は使用済核燃料の再処理やMOX燃料加工等で英・仏に依存しており、独・スイス・ベルギー・スウェーデンさらには英国自身の中で進み始めた脱再処理の動きの中で、逆に、日本のプルトニウム政策が英・仏の再処理政策を左右する局面に立ち至っています。日本の原子力政策はこのような「外圧」による修正をも余儀なくされる位置、時期にあります。
ドイツでは1998年に誕生したSPDと緑の党による連立政権が脱原発政策を決め、今年具体的な計画が定まりました。
ベルギーでも1988年に原発増設無期限延期が決まり、新MOX燃料加工工場の無期延期、再処理契約の一部凍結・破棄ヘ進みました。今年9月には環境保護派を含めた連立政権が、2025年を目途に原発を全廃する方向で検討に入ったと報じられています。
スイスでも再処理からの撤退へと進み始めています。
英国のセラフィールド核施設に対し欧州のオスパー会議は閉鎖を勧告し、今後操業を続けることがますます困難になってきました。また、ソープでの再処理契約の1/3を占める英BE社が、BNFLに対し貯蔵契約に切り替えることを申し入れており、英国の再処理事業には見通しがありません。MOX燃料データねつ造事件を機にBNFLの腐敗ぶりが暴露され、BNFLの民営化が遠のき、日本が新たなMOX燃料加工契約を締結しなければ、MOX燃料加工事業が成り立たない状況に陥っています。
欧州のFBR開発も完全に破綻しています。仏は、1998年2月に世界最大の実証炉スーパーフェニックスの閉鎖を決めました。英は、原型炉PFRを1994年に閉鎖し、EU主体の欧州統合高速炉EFR開発プロジェクトから1993年に脱退しています。独でも、完成した原型炉SNR-300を燃料装荷直前の1991年に廃炉を決定し、実証炉計画も中止しています。フランスでのスーパーフェニックスの閉鎖は、欧州での高速増殖炉開発の終焉を象徴するものでした。
高速増殖炉開発の中止に伴って、欧州ではプルトニウム利用計画そのものに影響が出始めました。英国では再処理でたまり続けるプルトニウムの処理に困り、フランスでは、プルサーマルの規模を現状で凍結し、使用済核燃料の全量再処理は行わない方針を打ち出しています。これまで英・仏の再処理・MOX燃料加工事業の大きな顧客であった独・スイス・ベルギーでの脱再処理・脱原発の動きは、英・仏の再処理・MOX燃料加工事業に大きな影響を与え始めています。その意味で、もう一つの最大の顧客である日本のプルトニウム政策が英・仏の再処理・MOX燃料加工事業の将来に対して決定的に重要な影響を持つ段階にきているのです。逆に、欧州での脱再処理・脱原発の流れが、日本にこれ以上英・仏の再処理・MOX燃料加工事業を支えないよう迫っているとも言えるのです。
米国では、TMI事故以降新規発注が途絶え、減価償却済みの老朽原発で寿命延長による経済性追求が行われています。使用済核燃料は再処理せず、ワンス・スルーで地層処分する計画ですが、処分予定地のネバダ州などの強い反対にあい、進んでいません。
(3)国民的な原子力への不安の増大
米TMI事故後、日本では、1980年代初めに労働組合運動と原水爆禁止運動の結合した大衆的な反核・反原発運動が盛り上がり、チェルノブイリ事故2年後の1988年からニューウェーブの運動が急激に高まり、原子力推進への大きな反撃となりました。その後の政界再編や労働組合運動再編の流れの中で反原発運動は求心力を失ったかのようでしたが、核施設立地点や都市部での粘り強い反原発運動が大衆的な支持を勝ち取っていきました。日本最大の原発集中立地点の一つである福井県で、約21万名の敦賀3・4号炉増設反対署名(1995年1月)と約22万名のもんじゅ反対署名(1997年12月)がその広がりを示しました。
1995年のもんじゅ事故とそれに続く一連の事故・事件の結果、原子力推進への不安と不信が国民の大多数を捉えています。新規原発立地予定点である巻では建設反対の住民投票が圧勝し(1996年8月)、芦浜でも約81万名の反対署名が集まり(1996年5月)、計画は白紙撤回(2000年2月)されました。珠洲や上関など新規原発立地点では反対運動が長期にわたって粘り強く闘われ、政府と電力会社にとって原発の新規立地は極めて困難な状況におかれています。
JCO事故勃発は、東海村の街頭にある看板「ようこそ 原子力の街 東海村へ」から「原子力の街」を降ろさせるに至りました。
原発、核燃料サイクルを推進してきた勢力は自信を失い、動揺し始めています。動揺する推進側への影響は、今回の長計策定会議の分科会の議論の最後まで、文章表現をめぐってもめるなど、根強く現れざるを得ませんでした。
(4)後退しながら巻き返しを図る推進派
しかし、原子力を推進する政府、電力・原子力産業、これらと結びついた地方の利権者たちは、崩れかけた原子力推進体制を立て直し、ある意味では開き直りすら見せながら、あくまで原子力推進を図ろうとしています。数十年前と同じエネルギー安全保障論を執拗に持ち出し、原子力を「基軸エネルギー」から「基幹電源」とか「重要な選択肢の一つ」とか、一定の後退を余儀なくされながら、あくまで、当面する「もんじゅ」の運転再開、プルサーマルの早期実施、中間貯蔵施設の立地、高レベル放射性廃棄物の地中処分の合意取り付け、原発新増設の着実な進展を図ろうとしています。
そのため、硬直した公共事業推進と税金バラまき行政への批判が高まっているにもかかわらず、長計(案)では、立地点との「共生」という看板を掲げて総合的な地域振興策を新たに推進することを盛り込んでいます。また、失われつつある原発の経済性を取り戻すため、定期点検期間の短縮や長期連続運転など安全性を省みない危険な規制緩和を長計(案)の中へこっそり持ち込んでいます。
また、高速増殖炉開発などのプルトニウム利用から各国が撤退する中で、唯一取り残され孤立した日本を原子力の「フロントランナー」とまで位置づけています。ここには一種の悲壮感すら感じられますが、そのように開き直らなければやっていけないほど、日本の原子力・プルトニウム政策は追い詰められているのです。
2.長計(案)の特徴
今回の長計(案)の特徴は以下のようにまとめられます。
@2000年代初頭のFBR実証炉計画を棚上げにし、炉型・再処理法・燃料製造法を含めて多様な選択肢を今後検討することとし、実用化時期を繰り延べ、柔軟に対応する。ループ型実証炉は実用的見通しがなく中止したにもかかわらず、「もんじゅ」には「研究開発の場の中核」と矛盾した位置づけを与え、早期に運転を再開させる。
Aプルトニウムの需給バランスや原発の新増設計画など現行長計にはある具体的な開発スケジュールを示さず、多様な選択肢を用意して計画に柔軟性をもたせるという文言でごまかしている。しかし、プルサーマル、使用済核燃料中間貯蔵施設の立地、高レベル放射性廃棄物地中処分の実施については、具体的なスケジュールをあげて強引に進めようとしている。
B原発サイトにたまり続ける使用済核燃料対策としてやらざるを得ないプルサーマルについては、実用化見通しのないFBRとは切り離し、だぶついているウラン資源の節約などという説得力のない位置付けのまま、「2010年までに累計16〜18基」という具体的なスケジュールを掲げて推進する。
C再処理路線からの撤退へと道を開くことにもつながる使用済核燃料の中間貯蔵施設を、再処理やプルサーマルと並ぶ大きな柱の一つとして、「2010年までに操業を開始するべく」と具体的なスケジュールを掲げて推進する。
D高レベル放射性廃棄物の地層処分を高速増殖炉開発より上位に位置づけ、「2030年代から遅くとも2040年代半ばまでには処分を開始することを目途とする」など、具体的なスケジュールを記して推進する。
E六ヶ所再処理工場は2005年の操業開始に向けて建設を進めているが、これが操業を開始すればすぐにプルトニウム・バランス、再処理の経済性、国内MOX加工工場の建設などが問われるため、「建設を進めている」との事実確認に留まっている。その次の第2再処理工場に至っては、「2010年頃から検討が開始される」とし、現行長計よりさらに実現があやふやになった。これは、現在使用中の高燃焼度燃料やプルサーマルで生み出される使用済MOX燃料が原発サイトから出ていかないことを意味する。
F地方ばらまき行政への批判を受けながら、核施設立地点との「共生」のため、地域振興法案など長期的、広域的、総合的な地域振興策と電源三法見直しを提言している。
G電力自由化の中で原発を生き残らせるため、定期点検期間の短縮や長期連続運転など安全規制の緩和策を提案している。報道によれば、定期点検の間隔を13ヶ月から18ヶ月へ延長し、事故が少なければ点検項目を削減するという経済性優先の内容である。
H原子力関連の売上高が近年減少し、技術者・研究者の数や研究費も減少し、技術力と人材を「従来通りの規模で維持するのは困難になりつつある」と現状を憂え、だからこそ「経営の効率化や国際的なコスト競争力と技術力を維持していくべき」としている。これは、JCO事故の社会的原因がまさにこの経済効率優先にあったという事実から目をそらし、結局同じ轍を踏まずには原子力を維持できないことを表明したものであり、極めて危険である。
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