1999.3.27 TMI事故20周年 反原発討論集会 報告@
 
欧州の脱再処理・脱原発の流れ
 
1.逆戻りはありえない、ドイツでの脱再処理・脱原発の流れ
2.ベルギーとスイスでも進み始めたプルサーマル撤退の流れ
3.核武装・再処理国のイギリス・フランスでも顕在化し始めた矛盾
4.その他EU諸国での脱原発の流れ
 
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欧州連合EU加盟15ヶ国(1999.3末現在)
@イギリス、Aフランス、Bドイツ、Cイタリア、Dオランダ、Eベルギー、Fルクセンブルグ、Gオーストリア、Hスペイン、Iポルトガル、Jアイルランド、Kデンマーク、Lスウェーデン、Mフィンランド、Nギリシャ
:西欧諸国のうち、スイス、ノルウェー、アイスランド、トルコはEU未加盟。
 EU加盟15ヶ国中13ヶ国が社民党(連立)政権で、アイルランドとスペインは中道右派政権
 東欧諸国のうち、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、リトアニア、スロベニアの7ヶ国がEU加盟を希望
 
北大西洋条約機構NATO加盟19ヶ国(1999.3末現在)
@イギリス、Aフランス、Bドイツ、Cイタリア、Dオランダ、Eベルギー、Fルクセンブルグ、Gスペイン、Hポルトガル、Iデンマーク、Jノルウェー、Kアイスランド、Lギリシャ、Mトルコ、Nポーランド、Oチェコ、Pハンガリー、Qアメリカ合衆国、Rカナダ
:西欧諸国のうち、スイス、オーストリア、アイルランド、スウェーデン、フィンランドはNATO未加盟
 東欧諸国のうち新規加盟3ヶ国(N〜P)に加えて、9ヶ国(エストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、スロベニア、マケドニア、アルバニア)がNATO加盟を希望
 
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1.逆戻りはありえない、ドイツでの脱再処理・脱原発の流れ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
(1)高速増殖炉・再処理工場建設の破綻と原子力法の改正
 
ドイツは当初、日本と同様に使用済核燃料はすべて再処理する方針をとっていた。
 ところが、カルカー高速増殖原型炉SNR300(32.7万Kw)が建設・試験段階で、原子炉容器の線状の割れ(1982.9)、ナトリウム火災(1984.11)、原子炉建屋内配線過熱火災(1985.3)などが相次ぎ、建設費も当初の4倍、5600億円に高騰し、軽水炉の6倍以上になった。1985.8のIAEA高速炉シンポジウムでは「FBR 燃料再処理施設がなく、再処理・FBR燃料加工費が高い今日、高速炉で増殖する必要はない。SNR-300 は転換比を当初の1.22から初装荷炉心で0.96、取替炉心で1.05へ下げた」 (西独カールスルーエ原子力研究所のW.マルス氏とインターアトム社のU.ベーマン氏) との発言にみられるように、ウラン需給の緩和と国内の豊富な石炭資源を受けて高速増殖炉への期待は急速にしぼんでいった。
 1979.3の米スリーマイル島原発(TMI)事故と 1986.4のチェルノブイリ原発事故はこの流れを加速し、決定的にした。TMI事故による衝撃が欧州を揺るがし、チェルノブイリ事故による放射能が欧州に降り落ち、原発重大事故の恐怖が全欧州へ広がった。TMI事故直後に、スウェーデンは国民投票(1980.3)で「2010年原発全廃」を決め、スペインは1983年に建設中の原発4基の建設を中止した。チェルノブイリ事故でこの流れが一層強まった。フィンランドは原発新設を凍結(1986)・計画中止(1992、1994)、オーストリアは唯一の原発を放棄 (1986)、イタリアは国民投票(1987.11) で全原発を閉鎖・建設中止、ベルギーは原発新増設を無期延期(1988)、スイスは国民投票(1990.9)で原発新設を10年間凍結、オランダは原発新設を無期延期(1995末)した。
 ドイツでも例外ではなかった。1970年代に反原発運動が大衆化し、1975年にはビール1号(PWR137.5万kW)反対運動が建設中止の判決を勝ち取り、建設断念へ追い込んだ。1976年にはブロックドルフ(PWR133万kW)建設反対運動に3万人が建設反対デモ、1977年には5万人がカルカー高速増殖原型炉反対デモに結集した。チェルノブイリ事故以後は全西欧から数万ないし10万人が結集し反核行動が展開された。これらの結果、ドイツでは1975年以降、原発の国内新規発注が途絶え、1989.4のネッカーU(PWR127万kW)の運転開始を最後に、新規運転開始はない。カルカー高速増殖原型炉は、建設は完了したものの1991.4の燃料装荷直前に計画が中止され、解体作業に入った。これに伴い、実験炉KNKU(2万kW)も1991.8に運転停止、実証炉SNRU(136万kW)の建設計画も同年中止された。
 これに先立ち、独国内での再処理工場の建設も中止された。西独電力12社が設立した核燃料再処理会社DWKがバッカースドルフ再処理工場(濃縮ウラン350〜500tU/年) を1985年に着工、しかし、公聴会で42万人が書面で反対、放射能規制値の強化と建設費高騰が続いた。その結果、2000億円以上投入したバッカースドルフ再処理工場の建設を1989.6放棄し、英仏との再処理契約で対応する方針に転換した。英仏との再処理契約は合計約8500tUにものぼり、仏UP3再処理契約の約半分、英THORP再処理契約の約15%を占める。これに伴い、カールスルーエ再処理実験工場(濃縮ウラン35tU/年)も1990年末に閉鎖された。使用済核燃料の再処理・高速増殖炉開発という原子力開発の長期戦略を失った独電力にとって、英・仏再処理契約は、原発の運転に伴って出てくる使用済核燃料の処理・処分対策としての位置づけしかなくなった。プルサーマルはその結果出てくる回収プルトニウムを処分するための唯一の手段となった。現在10基でMOX燃料装荷の認可を得ているが、実際に装荷しているのは6〜7基であり、余剰プルトニウムを出さないための消極的なプルサーマルに過ぎない。独原子力産業にとっては儲けの対象であっても、独電力会社にとっては経済性のない厄介者に過ぎなくなった。このプルサーマルを回避するには、使用済核燃料を再処理しない「直接処分」へ進む以外にない。
 このような流れの中で、1992年秋にはコール政権 (キリスト教民主・社会同盟CDU/CSUと自由民主党FDPの連立)下で、原子力法から「原子力開発促進」を削除し「使用済核燃料のワンスルー処分」を認める改正案がまとめられ、1992.11.23 には、独2大原発保有電力会社(Veba社とRWE社、原発の6割) 社長が「代替電力を確保して原発を一定運転期間後に廃止、原子力技術開発は継続、廃棄物処分法の明確な提示と議会2/3 の同意が得られるまで新規原発建設の凍結、再処理の中止と英仏への再処理委託の早期終了、MOX燃料加工工場の新・増設中止」の構想を首相に提言した。翌年には原発・廃棄物処分・欧州エネルギー問題等の長期エネルギー政策で与野党合意に達し、1994.5には原子力法改正案が成立。その年末にはハンブルグ電力(HEW) とライン・ウェストファーレン電力(RWE) が、英BNFLとの2000年以後の第2期再処理契約545t分を違約金を払って解約した。
 これらは営業運転開始10年未満の比較的新しいクリュンメル(BWR126万kW;運開1984.3)とグンドレミンゲンB・C(BWR各129万kW;運開1984.7・1985.1)に関する契約であり、英BNFLとの第1期分や残り 1000tの他の原発に関する第2期分は解約されていない。というのも、ゴアレーベン中間貯蔵施設(乾式貯蔵1500tHM) を1983年に竣工したものの、住民の強い反対と実力阻止行動にあって使用済核燃料を中間貯蔵施設へ搬入できず、原発サイト内貯蔵プールにあふれ始めているからである。1995.4のフィリップスブルグ原発から第1回目の使用済核燃料輸送時には、鉄道レール占拠など激しい実力阻止行動にあった。1996.5.8 の仏ラ・アーグから高レベル廃棄物キャスク1基搬入時には、3000名のデモ隊が各所で道路を封鎖、1万5千名の警官隊が照明弾と放水で弾圧した。1997.3.5にも仏からの高レベル廃棄物コンテナ2基(約100t)とウォルハイム原発等からの使用済核燃料コンテナ4基(約100t)を同時に搬入(警護費節約のため)したが、史上最大の約1万のデモ隊が阻止行動を展開、約3万の機動隊が3重隊列で沿道を逆封鎖し、放水で弾圧。300名が逮捕され、153名が負傷、2名が目を負傷しヘリで病院へ護送された。警護費は昨年の4600万DMを超え、6600万DM(3900万ドル)以上に達した。このような状況下で、英・仏再処理契約は今日、「使用済核燃料処分」契約の様相を呈している。その証拠に、再処理契約破棄をおそれた仏COGEMAは、独電力会社に貯蔵・保管料金を格安にし、再処理をいつ行うかの最終決定を2000〜2003年に行うという案をドイツに提示し、再処理契約の破棄を回避している。
 ところが、1998.5には、輸送容器の放射能汚染問題で、独原発から国内外への使用済燃料の輸送が一切禁止され、1999.3現在、ドイツでは輸送再開は認められていない。
 1994年の原子力法改正と英再処理契約の一部解約はドイツ原子力政策の一大転換を象徴する出来事であった。それに続く独シーメンス社による1994.4のハナウMOX燃料加工第1工場の閉鎖、1995.7のハナウMOX燃料加工第2工場(10億マルク、約726億円投入し進捗率95%)の建設中止、1996.2 のハナウ原子燃料コンビナート(ウラン燃料加工工場とMOX燃料第1・2加工工場)の7年かけての解体・除染作業の開始は、ドイツでのプルトニウム政策の終焉を最後的に宣言するものであった。
 こうして、ドイツのプルサーマルは、それを通じて独国内にプルトニウム利用の産業的基盤を醸成し維持するという目的すら失い、英仏への使用済核燃料搬出に伴って余儀なくされる不経済で厄介な後始末としてのプルサーマルに過ぎなくなった。
 
(2)使用済核燃料処分政策と不可分の脱原発政策
 
 1998.9.27 の連邦議会(下院)総選挙勝利で誕生した社会民主党 SPDと緑の党の新連立政権が打ち出した脱再処理・脱原発政策はこのような流れを受けたものである。脱再処理と脱原発の基本方針については、電力会社と新政権の間に相違点はない。争点はその時期である。
 10月に発足した新政権は、原子力法を改正し、@原発に安全性チェック義務を課す、A再処理を禁止し、原発敷地内または近隣に中間貯蔵を義務付け (中間貯蔵は最終貯蔵としない)、放射性廃棄物は 2030年頃を目標に深地層処分場1ヶ所に最終処分することとし、ゴアレーベンは適性に疑問あり中止し、モルスレーベン低レベル処分場も中止する、B原発事故時賠償レベルを現行の10倍、50億マルクへ引き上げる、C政権発足後1年以内をメドに原発会社と協議し、脱原発の新エネルギー計画を詰め、補償なき段階的廃止の法案を審議するとともに、運転認可年数に制限を設けていくとの方針を打ち出した。
 しかし、英仏は再処理契約が破棄された場合の損害賠償を要求し、英政府は「契約破棄時には既搬入の使用済核燃料650tを即刻送り返す」と恫喝した。独電力会社も、@既存原発(半数は10〜15年運転にすぎない)の減価償却を終わらせ、得られるだけの利潤を引き出すこと、A運転継続が可能となるような使用済核燃料処分策(再処理契約による英仏への搬出または国内中間貯蔵施設の建設・操業)が確保されることを求め、その限りで、英仏再処理契約の早期禁止に反対している。ドイツの原発は、再処理・プルトニウム利用路線の下、使用済核燃料の再処理を前提とし、原発サイト内には限られた容量の貯蔵プールしか設けられていない。また、中間貯蔵施設もゴアレーベンの例に見られるように、極めて強固な実力阻止行動がとられ、サイト近隣での中間貯蔵施設の建設も見込みがない。そのため、英仏再処理工場への搬出が禁止されると、一部を除きほとんどの原発は貯蔵プールが早期に満杯となり、運転できなくなる。ましてや、再処理契約破棄で使用済核燃料が原発サイトへ返還されれば即座に運転停止となる。まさに、使用済核燃料処分策が原発の運転年数を規定しているのである。「再処理禁止時期の設定」は「原発の運転年数の設定」に等しい。電力会社にとって、原発の運転が40年の耐用年数だけ確保されれば十分なのであり、再処理契約がいつ破棄されようとも、それが電力会社にとっての新たな損害賠償義務となって跳ね返らない限り、どうでもいいことなのである。
 独電力会社と新政権との間の対立が激化する中、今年2月7日に行われたヘッセン州議会選挙では、SPD と緑の党が大敗を喫し、1991年以来両党が支配してきた州政府がキリスト教民主同盟と自由民主党の連立政権に奪われた。その結果、SPD と緑の党の連邦新政権は連邦参議院での安定多数を失い、新政権は「使用済核燃料の2000年からの再処理禁止は再検討中の原子力法改正案には盛り込まない」と発表し、電力会社との第2回目のコンセンサス協議も延期、3月3日に予定されていた内閣への改正原子力法案の提出も期日を定めず延期した。そして、3月には SPD左派のラフォンテーヌ氏が蔵相と SPD党首を辞任し、シュレーダー首相が SPD党首を兼任することとなり、SPD内部でも政策上の対立が先鋭化した。
 ドイツの再処理禁止路線は新政権の動揺にもかかわらず、動かない。それは、カルカー高速増殖原型炉の閉鎖、バッカースドルフ再処理工場の閉鎖、ハナウ原子燃料コンビナートの閉鎖によって歴史的に決定付けられた既定路線である。当面の対立は、稼働中の原発の運転年数を何年にするかである。それは、単に電力会社の希望だけでは決まらない。それは原発事故と安全規制の強化および使用済核燃料処分政策をめぐる政治的力関係で決まる。プロイセン電力社(PE)のビュルガッセン原発(BWR64万kW;1972年運開)では、運転22年目に炉心シュラウドとグリッド板に亀裂が発見され、改修すると2年間2億マルクが必要なため1995年に閉鎖が決定された。このような原発事故の発生を別として、英仏再処理契約を棚上げにしたとしても、使用済核燃料のサイト外への搬出を実際に許すかどうか、サイト内外での使用済核燃料の中間貯蔵増強策を許すかどうかで決まる。
 
(3)ますます困難になる原発新増設
 
 TMI事故(1979.3)とチェルノブイリ事故(1986.4)以降、英仏を除いてすべての西欧諸国で原発の新増設が途絶えた。イギリスは、1974年以降新規発注のないガス炉から軽水炉への転換を図り、米WH社との合弁でサイズウエルB(PWR119万kW)を開発、1987年に着工、1995.9に運転を開始した。これと並行して行われた1995年の原発民営化の結果、新規発足したブリティッシュ・エナジー社はサイズウエルC(PWR125万kW2基)とヒンクレーポイントC(PWR118万kW) の増設計画を経済的競争力がない(安価な北海油田が開発されたため)との理由で中止した。これ以降、原発新増設計画はイギリスでも途絶えた。ちなみに、イギリス以外のOECD加盟15ヶ国と非加盟5ヶ国の電力会社・政府機関提供データ、ベースロード用発電所生涯コストの平均を比較したOECD/NEA発電原価将来予測調査(原産1998/10/22)によれば、ここ数年ではガス・コンバインド・サイクル発電が最も経済的な電源であり、原子力は割引率など前提条件により、割引率5%ではガスと石炭が3ヶ国で、原子力が5ヶ国で最も安価だが、割引率10%ではガス火力が9ヶ国で、石炭が1ヶ国で最も安価になり、原子力はどの国でも2位以下となる。
 フランスでは、1950〜60年代のガス炉開発路線を中止、1994年には8基のガス炉をすべて閉鎖した。これと並行して、51%国営のフラマトム社で軽水炉の国産標準化を進め、1971〜91年に59基着工、うち55基が1977〜94年に営業運転を開始し、世界最大の146万kW級PWR原発4基が建設中である。特徴的なのは1974〜83年の10年間に年平均5基のハイペースで集中着工し、この量産効果で建設費を削減していることである。その結果、原発の発電電力量は15%を電力輸出してなお国内の8割を占めるという過剰状態に陥った。それは建設中の超大型原発の運転開始が当初の1997年より延びているところにも現れている。耐用年数を40年とすれば、2010年までは新規発注がなく、原発の経済性を確保するため耐用年数を伸ばせばさらに新規発注が途絶えるというジレンマに陥いる。しかも、EU統合による電力自由化の流れの中で原発は天然ガス・コンバインドサイクル発電と競合しており、原発推進のピエレ産業担当閣外相も1999.1.21 の議会発言で「原子力が総発電電力量に占める割合は近年の80%をピークに現在の発電設備が更新時期を迎える2010年以降2020年までに徐々に下降していくと予想」し、「それでも来世紀も原子力のシェアが50%を割ることはない」と弁護するのがやっとである。また、1999.2.2に仏議会科学技術オプション委員会が欧州加圧水型炉EPR 推進の立場から行った評価ですら「1995年の1kWh当たり発電コストは、再処理・廃棄物貯蔵などバックエンド費6サンチームを含めて原子力19サンチームでガス火力より優位だが、今後は、原子力が18〜20サンチームに対し、コンバインド・ガスサイクル発電が16.5〜20.5サンチームでコスト差は縮まる」と予想している。そこで、「CO2 コストを組み込めば100〜200ドル/t-CO2でガス火力の発電コストは6〜7サンチーム/kWh増える」から、このトリックで「競争力」を確保すべきだと提言する始末である。現在建設中の4基が完成すれば10年以上の受注ゼロが避けられず、そうなれば仏原子力産業は技術力を維持できない。そのため、ロシア・東欧諸国での EPR建設に望みを託そうとしているが、これら諸国は財政難にあえいでいる。1998.5中旬に仏議会科学技術評価委員会が出した EPRの詳細調査報告では、2003年までに初号機を建設着手する必要があるが、EPR開発にはすでに計10億仏フラン(920億円)以上投資しており、初号機に続き少なくとも6〜7基のFPRが建設されなければ経済的に引き合わず、少なくとも180万kWでベースロード運転、18サンチーム
(3.8円)/kWH 出ないとペイしない。ましてや、「原型炉1基建設で終わるとすれば経済的にばかげたことだ」と断言している。
 ドイツでは19基が運転中、1基が無期限運転停止中で、建設計画はない。無期限停止中の原発はミュルハイム・ケールリヒ原発(PWR130万kW) で、1987.10に営業運転を開始したものの翌年9月に「地震のリスクを十分に評価していない」ため建設認可無効判決が下り、それ以来運転停止状態が続いている。ドイツ統合により旧東独で運転中の原発6基はすべて閉鎖され、建設中の5基と計画中の4基も中止された。プロイセン電力会社ハリグ会長が「現在の政治状況では新しい原発を建設する状況にない」とシュピーゲル誌にインタビューしたように、ドイツ国内での新規原発建設のメドはなく、電力会社はもっぱら既存原発の減価償却と耐用年数の延長に腐心している。原子力メーカーの独シーメンス社(KWU)は仏フラマトム社との EPR合同開発にかけているが、その見通しは暗い。1998.10 に発足した独新政権は再処理禁止と共に新規原発建設禁止に合意し、原子力法を改正しようとしているが、既存原発の運転と直結する再処理禁止では電力会社と対立しているが、新規原発建設禁止では電力会社との間で深刻な対立はない。
 
(4)反原発と社会変革の課題
 
 独新政権は3.19、環境税(ガソリン・軽油1リットル当たり0.06マルク(約4円)、灯油・電気・ガス料金にも上乗せ)の4月導入、企業優遇税制の大幅見直しと2002年までの計205億マルク(1.4兆円)の段階的所得・法人減税などの税制改革関連法を連邦参議院(3月末までSPD政権が多数)で可決成立させた。環境税は再生可能エネルギーを促進するために使われる。
 脱再処理・新規原発建設中止の基本路線が敷かれたドイツで脱原発を促進するためには、使用済核燃料のサイト外搬出によって既存原発の運転継続を狙う電力会社の抵抗を封じるため、反原発運動の一層の拡大が不可欠である。それに加えて、エネルギー節約の促進と再生可能エネルギーへの転換という社会経済構造の根幹に手を付け、経済界の抵抗がより大きく一層困難な変革が不可欠である。この困難を乗り越えて前へ進むには、それを実現するための全社会的な、より激烈な闘争が不可欠であろう。
 
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2.ベルギーとスイスでも進み始めたプルサーマル撤退の流れ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
(1)「フランス支配」下のベルギーで再処理中止
 
 ベルギーにはドール原発(PWR4基計277万kW)とチアンジュ原発(PWR3基計294万kW)の2ヶ所に7基の原発がある。これらはすべてTMI事故以前に着工され、チェルノブイリ事故以前に営業運転を開始している。チェルノブイリ事故後の1988年には、政府が原発増設計画を無期限に延期し、4年後にも政府4与党が原発新設計画の無期限延期を再確認している。
 ベルギーは世界初のプルサーマルを実施し、デッセルMOX燃料加工工場を有しているが、その原子力開発はフランスと密接な関係にあり、事実上フランスの支配下にある。チアンジュ1号は株式の67%を所有するフランスの管理下にあり、ベルゴニュークリア社がデッセルMOX燃料加工工場で仏・独・スイス向けMOX燃料集合体 400体を製造しているが、それを組み立てるベルギーのFBFC施設はフランスのCOGEMAとフラマトム社によって管理されている。また、MOX燃料を販売するCOMMOX社はCOGEMAとベルゴニュークリア社の合弁企業(1987年頃設立)である。さらに、1990年頃には仏財閥のスエズがベルギー最大財閥ソシエテ・ジェネラル・デ・ベルギーの主要株主になり、ベルギーの新聞と電力部門のすべてを握り、仏大企業がベルギーの核燃料サイクル施設を支配、ベルギーのバックエンド政策はパリで決まると言われるほどになっている。
 そのベルギーで脱再処理の動きが顕在化した。
 ベルギーの原発7基から使用済核燃料約 120tHM/年が発生し、このうち60%を仏と再処理契約していたが、原発増設計画凍結に伴い、1992年以降、議会で見直し論議が強まった。これを受ける形で、COGEMA60%出資の外国顧客用デッセル新MOX燃料加工工場P1(40tHM/年、1997年フル操業計画)の王室命令による認可(1991.4)が裁判で取り下げられ、無期限延期になった。さらに、1993年12月議会の決議では、使用済核燃料の直接処分を将来検討することとし、チアンジュ原発の1990年仏再処理契約を少なくとも5年間凍結、ドール原発の1978年仏再処理契約のうち未履行分を外国売却などの方針を決めた。そして、5年後の 1998.12、凍結中のチアンジュ原発の再処理契約を最終的に破棄し、残り少なく賠償金の高いドール原発の再処理契約は続けることになった。同時に、現在実施中の使用済燃料処分法の技術・経済調査を1年後にまとめ最終判断することとし、欧州電力市場規制緩和に合わせた「将来のエネルギー政策見直しのための特別委員会」を発足(1991.2)させ、18ヶ月の調査に入った。
 ベルギーのプルサーマルは、残り少ない現在の再処理契約分の終了と共に終焉を迎えることになった。
 
(2)脱再処理へジワリと動き出したスイス
 
 スイスには5基の原発が稼働中だが、すべて1975年までに着工、1979.11運開のゲスゲン(PWR97万kW)と1984年運開のライプシュタット(BWR103万kW)以外の3基は約30年運転の老朽原発である。スイスでは、過去3回国民投票を実施し、脱原発法は1979、1984、1990年の各国民投票ですべて否決されたが、1990年の国民投票では「今後10年間の新規原発建設凍結、原発の存続と効率的なエネルギー政策推進」が可決された。
 2000年の原発建設凍結解除に向けて、反原子力グループは「原子力モラトリアムの延長と原子力発電所の段階的閉鎖」の国民投票による憲法改正を発議、原発建設モラトリアムの2000年以降10年間継続と原発の段階的縮小(ベツナウとミューレベルクの2年以内閉鎖、ゲスゲンとライプシュタットの30年以内閉鎖)を求めて1998.3から10万人の署名運動を展開している。
 これに対し、スイス連邦政府は 10.21の閣議で、@ミューレベルク原発(BWR35.5万kW、1972.10運開)の2012年まで運転認可延長、Aライプシュタット原発の15%出力増強、B既存炉の運転年数の設定や放射性廃棄物の管理法について電力会社・関係自治体・環境保護団体らの間で話し合いをもつようエネルギー相と経済相に指示、の3点を決定した。また、話し合いで合意に達しない部分は政府が最終判断を下すことになったほか、新規原発建設については改定原子力法に照らして国民投票にかけることを強調し、原発設備容量の更新は結論が出ていないという。この閣議了解がマスコミで「段階的撤退」と報道されたことから、12月に改めて政府の正式発表を行ったが、内容は全く変わっていない。
 1998年初に設置された原子力発電会社、NAGRA、環境保護団体、連邦政府代表からなる連邦政府ワーキンググループがエネルギー省へ11月頃提出した報告書によれば、@高レベル廃棄物については、「最終処分」と比較できるレベルまで「回収可能な長期貯蔵管理技術」の開発を進めることで合意、A棚上げ状態のベレンベルグでの低・中レベル廃棄物処分については、意見が分かれ、ルフ座長(倫理学教授)が、ベレンベルグへの一般許可交付を差し控えるが試験立坑の掘削は進め、NAGRAは 現行プロジェクトを継続し、並行して回収可能な長期貯蔵方法を開発研究し、後に比較検討するよう勧告、B使用済燃料処分法についても意見が分かれ(再処理禁止と推進)、ルフ座長が、再処理は案件毎の認可制にし、認可条件に海外再処理施設がスイスの放射線防護基準を満たしているという確かな証拠を含めるよう勧告、C今後の新規原発建設は他の大型プロジェクトと同様に国民投票で可否を問うことで合意、D既存炉の運転年数については意見が分かれ、環境保護団体は「30年、それ以上は国民投票」、発電会社は「技術的に安全が保障されている限り運転継続」を主張、ルフ座長が「設計上の寿命を10年超える場合は連邦政府が判断し、それ以上は国民投票」との意見を提示したという。
 スイスはこれまで、5基の原発から出る約66tHM/年の使用済核燃料をすべて国外で再処理し、ベズナウ2基とゲスゲンの PWR3基でプルサーマルを実施してきたが、使用済核燃料の直接処分もできるようになっている。再処理か直接処分かは今後決められるが、OECD/NEA1998は、原発閉鎖の数年前からは再処理してプルトニウムを回収する意味がなくなるため再処理量には上限があるとし、5基の原発から耐用年数期間中に出る使用済核燃料3056tUのうち、再処理2250tU(返還ガラス固化体2020体)、直接処分806tUと推定している。
 スイスでは、これらを含めすべての放射性廃棄物を最終処分まで中間貯蔵するための集中中間貯蔵施設ZWILAG(総工費5億スイスフラン、453億円)を、北部ビューレンリンゲンのパウル・シェラー研究所内に建設しており、今年操業開始予定である。また、スイスは、アールガオ州北部の結晶質岩盤とスイス高原北部チュルヒャー・ワインラントの乳白粘土層の2ヶ所の地下研究施設で1996〜97年に地質調査を実施、続いて深地層ボーリングを行う予定であり、国外地下施設(スウェーデンのエスパ、日本の東濃・釜石)での国際協力研究プロジェクトも重視しているという。
 
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3.核武装・再処理国のイギリス・フランスでも顕在化し始めた矛盾 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 
(1)消費できない余剰プルトニウムに悩むイギリス
 
 イギリスは、欧州高速増殖炉EFRプロジェクト(仏・英・独共同開発)から1993.3に撤退、自国原型炉PFR(270MWe,600MWt;運開1976.8)も1994.3に閉鎖した。プルサーマル計画を持たないイギリスは、これにより再処理で回収したプルトニウムを全く消費できなくなり、英国王立科学アカデミー報告「分離プルトニウムの管理」(1998.2)によれば、民生用プルトニウム在庫量が 54t(1996年末)に達した。同報告はさらに、FBR の実用化がもはや現実的な前提ではないにもかかわらず再処理が継続されるため2000年までに100tに達する。これは放射能と核拡散リスクの両面から望ましくない。「信頼性、性能面で、原子炉級プルトニウムは兵器級に比べ劣るが、経験のある兵器設計者であれば、十分信頼性をもつ設計が可能である。したがって、テロリストや核兵器製造をたくらむ国家にとって原子炉級プルトニウムも目標となりうる」と明言し、@ワンススルー、A既存原子炉へのMOXリサイクル、BMOX燃焼専用新規軽水炉の建設、C海外原子炉でのMOX燃焼の各代替案を総合的に評価すべきと政府へ提言した。
 英AGRと海外顧客用の再処理工場THORPは2003年までのベースロード契約以降については海外契約がなく、ベースロード契約についても日本に次ぐ最大の顧客であるドイツが1994年末に一部を解約し、他についても解約の可能性を検討している。このような事態に直面したBNFLは、1992.2にスコティッシュ・ニュークリア社(SNL) と結んだ15年間契約では AGRの使用済み核燃料の一部だけを再処理し、3/4以上をサイト内乾式貯蔵する方針だったが、1995.3には、スコティッシュ・ニュークリアSN社にトーネス原発(AGR63万kW2基)とハンターストン原発(AGR58万kW2基)の乾式貯蔵施設建設を中止させ、再処理委託と2006年までの新燃料供給の抱き合わせ契約を締結させた。さらに、ニュークリア・エレクトリックNE社とも10AGR(2004年まで)と12マグノックス炉(2009年まで)の使用済燃料の再処理、2000年までの AGR用新燃料供給の抱き合わせ契約を締結させた。プルトニウム利用政策を持たないイギリスでのこのような再処理工場延命政策は、回収プルトニウムの一層の蓄積を招き、核拡散上の問題点を一層深刻にせざるをえない。
 再処理工場 THORPやセラフィールドMOX燃料加工工場(120tMOX/年、操業認可待ちの状態)はまた、海洋の放射能汚染をもたらすため、デンマーク・ノルウェー・アイルランドを中心に操業中止への圧力が高まっている。1998.7.23 のオスロ−パリ委員会OSPAR(欧州15ヶ国;1992年設立)では、各国政府閣僚出席の下、欧州北西海域放射能濃度を自然放射能レベル近くへ下げると共に、「20年間に利用可能な技術水準を勘案して」という条件付きで再処理施設等からの放出放射能をゼロにすることで合意した。これを実際にゼロにさせるか、骨抜きにされるかは今後の西欧諸国での脱再処理・脱原発への動きと密接に絡んでいる。
 セラフィールド再処理工場による放射能汚染に関しては、再処理工場周辺での小児白血病の増加との因果関係が争われたが、英政府委託の「環境放射線の医学的側面に関する委員会COMARE」が1996.4に再処理工場との因果関係を否定する報告書を発表、10年余の調査終了を宣言した。しかし、同報告は「自然罹患率を超える白血病発生は今後も続く」と予想しており、「原因不明」なまま被害だけが生み出されようとしている。
 再処理工場 THORPそのものの操業も、事故で停止状態が続いている。1995.2の操業開始後4年間に目標の半分しか達成できず、今年度は3割増の目標を立てていたが、1998.4に溶解槽から出るパイプに穴が開き、5ヶ月間も停止、ようやく運転を再開したところ1998.12.17に今度は溶解槽から出るパイプで原因不明の詰まりが生じ、再び停止した。1999.1.11 になってやっと詰まっている箇所がわかる有様で、またもや目標の半分しか達成できない状態だ。このような事故の多発とそれによる稼働率の低下=収益の悪化は THORPによる再処理の是非をめぐる国内外の対立を一層先鋭化させるであろう。
 日本の新型転換炉「ふげん」では閉鎖が決まって以降、手抜き運転による事故が多発しているが、同様の事態がドーンレイ再処理工場でも生じている。1998.5に再処理区域の16時間停電事故が起き、安全性と核物質防護に懸念が生じたため英政府安全規制当局が緊急調査を実施、「4年前に一部事業を民営化するなど、組織改革を実施して以来、英原子力公社UKAEA は管理体制と技術基盤が非常に弱体化し、2003年に予定されている同サイトの廃止措置という主要な作業を遂行する上で支障が生じている」と指摘し 142項目の改善勧告を出した。民営化による営利主義や閉鎖決定による運転目標喪失が危険な老朽核施設での放射能汚染や重大事故の危険を高めている。
 
(2)高速増殖炉から撤退し長期戦略を失ったフランス
 
 フランスは高速増殖炉開発で世界初の実証炉スーパーフェニックスを 1986.12から運転を開始したが、事故続きの末、プルトニウム増殖炉からアクチニド燃焼炉への転換を模索したが、ジョスパン新政権(社会党−共産党−緑の党の連立)の下で閉鎖され、1999年から解体作業に入った。建設費だけで 260億フラン(約4900億円)も投資しており運転して回収すべきだとの主張や、閉鎖すれば出資国(仏50%+伊33%+独・オランダ・ベルギー)から補償要求も出る等の原子力産業界や議会による激しい巻き返し策動も、「反原発派の攻撃目標となる最も弱い部分を取り除く。」「優先順位を欧州加圧水型炉EPR に移す好機」との仏議会委員会最終報告(1997.7.2)で幕を閉じ、1998.12.31には廃止措置の具体的作業手順が政令で交付された。
 仏の高速増殖炉開発は軍民両用であることはよく知られた公然の秘密である。高速増殖炉のブランケット燃料では「核兵器級プルトニウム」より高純度のプルトニウムが生み出され、仏はこれで小型高性能の中性子爆弾等を製造しようとしていた。実験炉ラプソディと原型炉フェニックスで、1990年末までに0.9〜1.6t、核弾頭400〜500 発分の高純度プルトニウムが生み出されている。軍事用プルトニウムの生産という目的は原型炉等で十分果たせるため、実証炉スーパーフェニックスを動かす必要はなくなっていた。むしろ、イギリスと同様に民生用の原子炉級プルトニウムが過剰に蓄積され、核不拡散の観点から余剰プルトニウムを処分する必要に迫られていた。
 高速(増殖/燃焼)炉スーパ−フェニックスの閉鎖とドイツでの再処理撤退方針により、仏でも再処理の見直しが迫られている。仏議会・科学技術評価委員会も1998.7の報告書で、「現実には経済的理由から 2/3しか再処理されておらず、貯蔵容量が飽和状態に近づいた短期中間貯蔵施設にゆとりを持たせる方法や中長期的貯蔵方策を再考すべき」とし、「1996年末民需用プルトニウム在庫量が 65.4tで海外所有の30tを除いてもMOX燃料製造に必要だと明言していた20t を遥かに上回る」と余剰プルトニウムの削減を求めた。同報告書は、そのため @MOX装荷原発を16基から28基へ早急に増加させる、A130〜140万kW級 PWRへの導入についても調査する、B装荷量より多くのプルトニウムを消費できる欧州加圧水型炉 EPRを開発設計する等を提案した。
 仏電力庁EDFのPWR54基から出る使用済核燃料は1200〜1300tHM/年であり、UP2の国内用処理能力700tHM/年(100tHM/年は海外用)を超えるが、COGEMAとの 2000年までの契約では、再処理の時期と量はEDFが決め、EDFは最小限度の量だけ再処理を行うとしており、2000年以降の契約はない。仏電力公社EDFは将来、使用済核燃料の2/3は再処理するが、残り1/3(約350t/年)は一時貯蔵または直接処分すると決めており、ラ・アーグ再処理工場の中間貯蔵施設を拡張する一方、1998年度から回収可能な浅地層貯蔵の予算を増やし、深地層処分のための地下研究施設2ヶ所の建設や群分離消滅処理研究も進めようとしている。ラ・アーグでの中間貯蔵容量は、2000tHM(1981年)、4000tHM(1984年)、6000tHM(1986年)、10000tHM(1988年)と拡張され、現在はリラッキングにより14000tHM分まで認可されている。この膨大な貯蔵容量の半分は海外顧客用だが、再処理で減る量を超えて仏国内発生分が貯蔵され続けている。
 1997.12.4 のWISEニュースコミュニケによれば、ボワネ環境相とピエレ産業担当閣外大臣が、MOX燃料装荷(プルサーマル)原発の20基への制限、メロックスMOX燃料工場の 115t/年規模(20基分相当)での凍結、使用済燃料は2/3しか再処理せず使用済MOX燃料は再処理しないとの方針で合意した。1998.7 現在、MOX燃料装荷が認可されている原発は合計20基であり、EDF はこれを28基へ増やそうとしているが、メロックス工場の MOX燃料加工能力の制約や MOX燃料加工費が高いことを考慮すれば、現状凍結に留まらざるを得ない。
 ラ・アーグ再処理工場でも、日常的な放射能汚染が深刻化している。1996.12にヴィール教授(ブザンソン大学医学部) が「再処理工場近隣で取れた海産物を多量に摂取したり、頻繁に海水浴した住民は白血病にかかるリスクが高い」と発表、仏産業省は即座に「科学的根拠なし」と否定、半年後に仏政府の科学委員会がヴィール論文を暫定的に追認し、汚染実態を早急に検討し適切な措置をとるよう放射線防護局に指示した。しかし、そのわずか1ヶ月後に、同科学委員会が、小児白血病の増加は事実だが、「近隣の海岸や海産物の定期的放射能測定結果が正しければ、被曝線量は非常に低く、因果関係を結論付けるのは無理」との報告書を提出、より明確な判定のためガン患者の登録システムを改善する必要があるとの勧告に終わった。また、1年余後の昨年10月には、仏政府の委託専門家グループが「原子力施設を原因とする白血病の増加は認められなかった」との報告書を公表し、先の科学委員会の報告を再確認した。結局、高濃度放射能汚染排水・排ガス等による被曝の可能性を否定し、拡散し薄められた海産物等の「放射能測定結果」を鵜呑みにしたものであり、「白血病の増加」という結果だけを残し、「原因不明」なまま放置しているのである。
 
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4.その他EU諸国での脱原発の流れ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 
(1)唯一の原発を放棄したオーストリア
 
 オーストリアでは、1978年に完成していた唯一のツベンテンドルフ原発が、翌年のTMI事故のため運転しないまま、チェルノブイリ事故後の1986年に閉鎖された。現在も原発の建設計画はない。
 
(2)原発をすべて閉鎖したイタリア
 
 イタリアでは、チェルノブイリ事故のため、1981年に運転を開始したばかりの86万kWの大型沸騰水型炉を含めて全原発が運転停止、国民投票(1987.11)で原発建設モラトリアムが成立したため、新国家エネルギー計画が策定され、全原発の閉鎖を定めた法律が成立、運転中の3基を閉鎖し(1990年に全閉鎖)、大改造工事のため運転を停止していた1基も閉鎖、96%完成していた小型の重水減速軽水冷却炉の建設も中止した。また、当時建設中であった高速増殖実験炉PEC(120MWt:1971着工)も1987年に計画が中止された。
 1988年以降原発発電電力量は実質上ゼロになり、電力の15%を仏などから購入し、電力コストは仏より40%以上高い。原発建設モラトリアムが1992年12月末で期限切れになり、政府が再開の方針を打ち出し、科学者らがカオルソ(BWR86万kW)とトリノ(PWR26万kW)の速やかな運転再開を求める声明を採択し、1995.6には政府が長期的原子力オプションについて検討する作業部会を設置し、@次世代原子炉、A廃棄物管理、B東欧諸国との協力、C許認可手続きの再検討、D広報・世論・マスコミ政策の検討に入ったが、当の伊電力公社ENELは「たとえ前向きの結果が出ても再開の見通しはない」との見解である。とくに、EU統合による電力自由化の流れは、再開への動きにブレーキを掛けると思われる。
 閉鎖された4基の原発ではすでに使用済核燃料 1916tが発生しており、うち 1588tが1978年以前の再処理契約によってすでに国外へ移送されている。この契約では廃棄物の返還は盛り込まれておらず(1978年以降の再処理契約で盛り込まれた)、残り 328tはカオルソとトリノの各原発貯蔵プール、アボガドロ研究炉の貯蔵プール(ガリリアーノとトリノの両原発の使用済核燃料)、EUREX社の貯蔵プール(トリノ原発と研究炉の使用済核燃料)および ITREC社の貯蔵プールで貯蔵中である。現行再処理契約では、さらに 53tが英再処理工場へ搬送されることになっており、あとの275tについて、@国外での再処理、A直接処分を前提とした長期貯蔵のオプションを検討中だが、後者のAになる可能性が高い。
 
(3)2004年に脱原発のオランダ
 
 オランダでは現在、ボルセラ(PWR45.2万kW;1973運開)だけが運転中だが、2004年に閉鎖する予定である。原発の新規建設計画はなく、1995末には政策文書で原発新設を無期延期し、原子力ノウハウ維持目的のプロジェクト予算を1996年で打切ると決定した。また、運転中の原発についても、発電コストが高く原子力への国民の支持がなくなったため、ドーデバルト(BWR5.5万kW;1969運開)
を1997年に閉鎖、ボルセラ原発も2004年閉鎖が決まった。
 オランダは英・独と共同出資でウレンコ社を設立し、国内にアルメロ濃縮工場(遠心分離法;1977運開) を持つほか、英・独にもウレンコ社の濃縮工場を持ち、世界のウラン濃縮市場の約10%を占めている。ウレンコ社は現在、独グロナウ濃縮工場の能力を大幅に拡張中であり、英・オランダでも拡張を計画している。しかし、オランダは2004年には脱原発国になり、ドイツも2010〜2030年に脱原発国へ推移していく。ウラン濃縮のウレンコ社だけが残るのであろうか。
 オランダでは原発2基から使用済核燃料が約12tHM/年発生するが、すべて再処理の予定であり、ドーデバルト原発の分は英BNFLで再処理、ボルセラ原発の分は仏COGEMAで再処理され、再処理に伴う放射性廃棄物はすべて返還される。オランダでは、回収プルトニウムを MOX燃料に加工し、ドーデバルト原発で1971年から12体だけ実験的に装荷した経験はあるがそれ以降はプルサーマルを中止している。
 英・仏からの返還高レベル廃棄物ガラス固化体等については、1985年に包括的国家放射性廃棄物研究プログラム委員会が、@文献調査、A特定岩塩層でのボーリング調査、B特定岩塩層でのサイト特定調査の3段階からなる陸地処分計画OPLAを策定した。@は1993年に完了し、翌年には政府が放射性廃棄物と他の毒性の強い有害廃棄物の地下処分方針を議会へ説明した。オランダでは、議会の合意が得られない限り次の段階へ進まないことになっている。その地下処分方針では、「原則として、毒性の強い有害廃棄物の発生量を、発生防止装置やリサイクルで、できる限り少なくする。」「既発生物と発生の避けられないものは、@管理できる方法で処分、A環境や経済性の面から容認できる方法で再利用できるようにするとの観点から回収可能な設計で処分する。これは将来世代による管理の継続を意味する。このため、地層処分計画のうち岩塩層への回収不能な処分方式の研究は中止する。」とされ、日本のような管理放棄の深地層処分方式はとられない。現在は、1995年から4年計画で複数の回収可能な地層処分オプションの比較検討を行っている。
 
(4)再処理せず原発新設もしないスペイン
 
 スペインでは、軽水炉原発9基が運転中であり、総発電量の34%(1995)を占める。だが、TMI事故のあとの1983年に、政府が、建設中の90〜100万kW級 沸騰水型原発4基の建設を中止し、原発新設モラトリアムを宣言した。政府は1991年にもモラトリアムの継続を再確認し、建設中止になった百万kW級原発2基を天然ガス発電へ転換することにした。スペイン原産会議による平均発電原価試算(1991年)によれば 1kWH当り水力6.1ペセタ、輸入石炭火力6.7ペセタ、原発は8ペセタで経済性に乏しい。
 スペインには、軽水炉以外にガス炉のバンデロス1号(GCR48万kW) が1972年から運転していたが、1989年の火災事故で停止し、1991年には閉鎖された。この使用済核燃料はすべて仏で再処理のため移送されたが、軽水炉の使用済核燃料(毎年約160tU 発生)はすべて直接処分されることが1983年に決められている。1995年末現在約1800tUが軽水炉原発のサイト内貯蔵プールで貯蔵されており、耐用年数40年で6750tUと推定されている。これらは最終的には深地層処分される計画だが、まだ具体化しておらず、当面は、@原発サイト貯蔵プールのリラッキング、A金属製キャスク貯蔵、B集中中間貯蔵施設の適当な時期の建設により、長期間中間貯蔵される計画だ。再処理方針は違うが、当面の政策では日本とよく似ている。
 
(5)2010年脱原発へ苦闘するスウェーデン
 
 スウェーデンでは、TMI事故後の国民投票(1980.3)で「2010年に原発全廃を前提として1995〜96年に2基閉鎖、炭酸ガス放出規制強化、水力増設禁止」のエネルギー政策を決定し、原発の新設はなくなったが、運転中の原発の閉鎖時期をめぐり電力会社と政府・議会の間の対立が続いている。スウェーデンの運転中の原発は12基で、総発電量の52.4%(1996)を占める。2010年までこれらを運転し続けるとすれば、運転年数は25〜30年が6基、30〜38年が6基であり、最新の90万kW以上の大型原発がすべて30年未満で運転を終えることになる。
 1991.6には当初の目標達成が困難なため、1995〜96年の原発2基廃止計画を放棄したが、1997年には政府与党が超党派協議でバーセベック1号の1998.7閉鎖、2号の2001.7閉鎖に合意し、議会が同原発2基閉鎖を含むエネルギー再編成法案を可決し、安全性に関わらず原発を閉鎖し資産を収容できる原発収用法を可決した。しかし、原発所有会社のシドクラフト社がバーセベック1号閉鎖に関し欧州連合EUに異議を申立て、運転管理会社のバーセベック・クラフト社がスウェーデン最高行政裁判所へ政府決定の施行停止を提訴、最高行政裁判所が告訴状の審査が完了するまでバーセベック1号機の運転を認めるとの裁定を下した。これを受けて、バーセベック・クラフト社がバーセベック原発の大規模な改修を実施し、送電を再開、1998.7閉鎖は事実上棚上げ状態になった。
 しかし、1999年初に国営ヴァッテンフォール社とシドクラフト社が決算を公表、「規制緩和された北欧電力市場で原発の収益率が徐々に低下しており、今後の原子力事業は益々厳しくなる」との分析結果を示した。老朽化に伴う改修費の増大が原発の収益を悪化させており、これがEU統合による電力自由化とともに、スウェーデンの原発閉鎖計画に今後どのような影響を及ぼすかが問題となろう。
 スウェーデンでは、使用済核燃料はすべて40年程度貯蔵後、地層処分される計画である。そのため、使用済核燃料は、1985年に操業開始したオスカーシャム原発近郊の地下25m岩盤空洞内の集中貯蔵施設CLAB(プール貯蔵容量5000t)で集中貯蔵されている。地層処分については、使用済核燃料をスチール内張り銅製キャニスターに封入、地下500m結晶質岩の縦穴中に置きベントナイト覆土する計画だが、処分場候補地の北部マラー町では、1997.9の住民投票で過半数が詳細調査実施に反対し、膠着状態に陥っている。代替法として監視付き浅地層処分も有望視されているが、長期的な安全基準を満たせないとされ、消滅処理技術も現段階では実用に移せるレベルにないとされている。
 
(6)原発新設凍結中のフィンランド
 
 フィンランドでは、旧ソ連の加圧水型軽水炉のロビーサ原発2基(VVER各54.5万kW)と沸騰水型炉のオルキルオト原発2基(BWR各84万kW) が運転中であり、総発電量の28.1%(1996)を占める。これらはすべて1977〜82年に運転を開始した比較的新しい原発であり、原発新設は選択肢として残されながらも、現在凍結中である。
 フィンランドの社民党政権は旧ソ連時代からロシアとの関係が深く、西欧諸国の他の社民党政権とは異なり原子力支持であり、野党の中央党とキリスト教同盟が反原子力である。ところが、社民党政権に参加している緑の党は反原子力であり、これが原発新設を阻止する政治的力となっている。社民党政権は、旧ソ連から2基の原発を輸入し、国営電力 IVO社が管理している。また、ロシア・コラ半島の原発から電力を輸入しており、ロシアの経済危機でコラ半島の鉱山・ニッケル産業の電力消費が落ちた分だけ、フィンランドが電力輸入を増やし、ロシアの貴重な外貨獲得源となっている。また、スウェーデンからも原発2基を輸入しており、民間電力 TVO社が管理している。フィンランドはロシアとスウェーデンの両国から電力を輸入しており、電力供給量の11%を占める。しかし、スウェーデンの脱原発政策の下でスウェーデンからの電力輸入が減るため、原発新設が浮上しており、これが当面の焦点になっている。
 フィンランドでも、チェルノブイリ事故の影響で1986年に原発増設計画が凍結された。ところが、皮肉にも、スウェーデンの脱原発政策がフィンランドでの原発新設を浮上させている。1991年にはIVO社とTVO社が 104万kW原発1基の入札を開始しようとしたが、フィンランド議会が原発新規建設を否決(1994.9)したため、中止された。これは世論を反映した結果であり、1991年末の世論調査では、新規原発建設反対49%が支持28%を大幅に上回り、発電源として天然ガス支持70%が圧倒的であり、原発は水力、ピートについで4番目にすぎなかった。
 1997年には IVO社が再び、スウェーデンでの原発2基閉鎖による電力輸入減を口実に原発新設の意向を表明、議会も 1997.10に5基目の原発建設の選択肢を残した政府のエネルギー戦略を承認した。これを受け、1998年には TVO社がオルキルオト原発隣接区域で新規原発立地の全面的環境影響調査を実施し、 IVO社も現在、ロビーサ原発敷地内での新規原発立地の詳細な環境影響調査を実施中である。1999.3の総選挙で緑の党が政権から除外されると原発新規立地に弾みがつくと考えられていたが、社民党が議席を減らしながらかろうじて連立政権を維持し、緑の党も議席を守ったため、政権から緑の党が除外される事態は避けられた。当面、原発新設の凍結状態が続くと考えられる。
 他方、1998年には全原発の約20%の出力増強とロビーサの10年運転認可延長(寿命30年)、オルキルオトの20年運転認可延長(寿命40年)が認められており、これらが、ロシアからの電力輸入増と相まって、原発新設を抑制する結果となっている。
 フィンランドでは、再処理や回収プルトニウム利用の計画はない。ロビーサ原発の使用済核燃料だけは当初ロシアへ搬送していたが、1991年にロシアが輸入禁止としたため、1996年に国内法を改正、ロビーサ原発の使用済核燃料を含めて全放射性廃棄物を国内で直接処分することにした。このため、使用済核燃料の1995年末貯蔵量は、ロビーサ原発で1202体、144tU(年間約210体、25tU発生)、オルキルオト原発で 3720体、660tU(年間約240体、42tU発生)となっている。使用済核燃料の最終処分場については、4候補地で深さ1kmの縦坑ボーリングを含め詳細サイト特性調査を実施中であり、1997年の政府のエネルギー戦略では「2000年までに使用済核燃料処分サイト選定」が明記されているが、候補市町村からの明確な受け入れ表明がなければ立地できないシステムになっている。
 
(7)再処理工場中止を求めるデンマークとノルウェー
 
 デンマークとノルウェーは最初から原発計画を持たず、チェルノブイリ事故後、その政策を再確認している。両国はアイルランドと共に、1992年に欧州15ヶ国で設立されたオスロ−パリ委員会OSPAR などで、英・仏に対し再処理工場の早期操業停止を最も強く求めている。
 
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