2001年2月9日
関西電力株式会社社長 石川博志様
 
美浜原発2号事故10年に当たって、
関電への申し入れ
 
若狭連帯行動ネットワーク
 
 貴社の美浜原発2号で蒸気発生器(SG)細管のギロチン破断事故が起こってから、本日で10年となります。この事故の教訓を完全に捨て去り、忘れ、原発の強硬運転、プルサーマル推進、原発新増設策動に明け暮れる貴社に対し、強い怒りの気持ちを持って、ここに申し入れます。
 事故以前から、SG細管の損傷とそれを原因とする事故の危険を指摘し、若狭にある貴社の全原発の停止と細管の徹底調査を要求していたのは原発の専門家ではなく、関西の反原発団体など市民グループでした。貴社はそれらを拒否し、国や原発の専門家のお墨付きをもらったとして、不遜な態度を取り続けました。
 1991年2月9日の事故後、関電ホールで市民団体などから2度にわたる徹夜の追及を受け、貴社はその場で事故を謝罪しました。その後「事故原因の究明中」を理由にかたくなに拒んでいた説明会も各地で相次いで開催し、市民から事故原因を追及されました。
 貴社や国の事故報告書は、触れ止め金具の不備でSG細管が振れて破断したというものでした。しかし、細管破断の再現実験もなく、グラフの外挿による強引な説明に基づくものでした。細管の疲労強度がなぜ大幅に下がったのかという定量的な解明も中途半端でした。貴社の行った事故対策は、SG細管事故を防ぐものになっておらず、未だに貴社の11基の原子炉でSG細管破断が起こる危険が存在しています。定検の短縮や長期連続運転、老朽化が進む中で、いつ、チェルノブイリ原発事故のような悲惨な事故が起こっても不思議ではありません。現に、昨年11月24日に原子力委員会が発表した原子力開発長期計画では「原発事故は起こるもの」という前提に立った姿勢に転換したのです。
 貴社が事故直後、市民団体に事故を謝罪した姿勢は雲散霧消し、いつもの関電が復活し、いまだに傲慢な態度を振りまき、危険極まりない原発を11基も動かしています。特に、美浜町、高浜町、大飯町など福井県の現地住民は放射能漏れ事故の危険にさいなまれながら生活しているのです。
 貴社が進めるプルサーマルはいまや国にとって、何ら見通しのない宙に浮いたものになってしまいました。新長計では、国はもんじゅによる高速増殖炉開発の失敗を事実上認めています。「プルサーマルは高速増殖炉開発までの橋渡し」との位置付けは崩壊しました。貴社のプルサーマル計画の安全性・経済性・ウラン節約効果等について1996年から私たちが追及したとおり、プルサーマルは破綻に瀕しているのです。
 しかも貴社は、1997年に福井県武生市で開いた若狭ネットとの公開討論会においてスイス・ベズナウ原発のMOX燃料事故を隠し、ウソをついていたことを昨年8月3日大阪の公開討論会で認めました。MOX燃料輸送容器のデータ改ざん発覚に続き、MOX燃料そのもののデータについても英国BNFLでのデータ改ざんが発覚しています。ウソと偽りでしか説明できないプルサーマルなど即刻やめるべきです。
 また、貴社は鷲見副社長を日本原電に社長として送り込み、敦賀3・4号増設を支援しています。福井県で、敦賀3・4号増設の動きに抗して1994年末まで集められ県知事に提出された21万4千人の「これ以上原発はいらない」署名に込められた、地元県民の意志を貴社は無視するというのでしょうか。
 貴社が、珠洲原発新規立地工作として、他社を介して立地点の買収を行おうとしていたことも昨年新聞で暴露されました。30年ほど前に和歌山県日高町の原発立地計画地点を別荘地の名目で手に入れたり、漁協の不正融資事件から介入を図るなどしていたのと同じあくどい手口を使っていたのです。
 一切の原発新増設計画を中止し、敦賀3・4号増設への協力も止めるべきです。
 市民グループの意見に真摯に耳を傾けることが、10年前の美浜2号事故の最大の教訓です。貴社が自分たちの見解を強引に押し通すと、悲惨な結果につながるでしょう。私たちはここに、以下の点を要求します。即刻実行するよう強く求めます。
@プルサーマル計画を中止し、BNFLとの一切のMOX燃料契約を破棄すること。SMPなどとの新た
な契約も結ばないこと。1997年武生市でのMOX燃料事故隠しのウソつき発言を謝罪する公告を福井県下全域に行うこと。高浜原発に置かれたMOX燃料の英国への返還を行わないこと。
A敦賀3・4号増設計画に関する、日本原電への一切の協力をやめること。珠洲から撤退すること。
B使用済核燃料の中間貯蔵施設の、福井県や他府県への立地策動を行わないこと。
C美浜1号を即刻廃炉にすること。
D原発重大事故を回避し、使用済核燃料をこれ以上生み出さないため、貴社の11基の原発を停止す
ること。
E使用済核燃料の青森県六ヶ所村への持ち込みをやめること。再処理を一切やめること。