関西の反原発運動の一翼を 二人三脚で歩んだ40年
みなさんの温かいご支援で継続できました
-若狭ネットニュースの編集後記から見えてきた-
書き手 久保 きよ子 & よしお
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はじめに
2020年5月、新型コロナ肺炎の流行は、全世界を席巻し続け、全世界を恐怖におとしめて います。人類とウイルスとの総力戦を呈しており、大戦争となってきています。
そんな中、若狭ネットニュースは、30年間で181号を迎えました。コロナ禍の下では、ニ ュースを持ち込んでの小学習会もままならず、対話もはばかられる事態に遭遇しています。仲間 との会話もままならず、街頭での対面署名活動も困難な状況となっています。活動が制約されて いる今、この際、もう一度これまでの「編集後記」などで、どんな思いで、ニュースを発行して きたのか、見つめ直す作業をしてみようと考えました。
反原発の若狭ネットの取り組みと編集後記を見つめ直すことで、新たな発見があるのかどうか、 また、過去の姿から今を見つめ直す良い機会となるのではないかと思います。
20世紀末から21世紀初めは、原子力発電所についても、世界中が大きな転換点を迎え、原 発開発から手を引く動きが顕著になってきました。それは、1986年のチェルノブイリ原発後 に顕著となったのです。この事故により、ひとたび、原発事故が起こると、人類の命と健康の破 壊だけでなく、経済社会そのものが崩壊の道を歩むことになることを体験したからです。
ところが、日本は、この時代の流れに逆らうように世界一の「原発長寿国」をめざそうと、原 発推進を打ち出し続けたのです。新たなる時代へ、つまり脱原発へと転換できなかったために、 ここ20年の間、日本のエネルギー政策は、世界から大きく後退してしまいました。再生可能エ ネルギーが全世界で普及し、拡大し、原子力や石炭の衰退傾向が一層明らかになる中、よりはっ きりとそれが感じられるのです。
チェルノブイリ事故を教訓にできなかった日本では、2011年3月にフクシマ原発重大事故 を経験してしまいました。事故から10年めを迎えても、事故は収束せず、放射能汚染水が発生 し続け、燃料デブリの実際の状況さえつかめず、廃炉・汚染水対策は「絵にかいた餅」と化し、 収束の見通しすら立たない状況です。貯まり続けるトリチウム汚染水を「500倍以上に薄めて海 洋放出」すべきだとの暴挙をごり押ししようとしています。
私たち若狭ネットも、この機を利用して、フクシマ事故の前後10年の時代を振り返り、どのよ うに考え、どのような提言をしてきたのか、見直したいと思います。そして、「チェルノブイリ 事故を『経験』しながら、なぜ、フクシマ事故を未然に防げなかったのか」、「社会生活でも原 発推進では大きなひずみが現れていたにもかかわらず、大きな反原発運動へと発展させられなか ったのは、なぜなのか」、考える機会にしたいと思います。
私たちも70才を超え、老齢化を迎えています。だからこそ、どうすれば、より説得力のある ものを提示し、次の世代にバトンタッチできるのか、より明確な教訓を指し示すことができるの か、模索し続けたいと思います。私たちのたどってきた歩みの中に見える優れた点、間違ってい た点、もっと徹底すべきだった点などを包み隠さず記録として残し、反省し、あきらめずに粘り 強く闘い続けながら、次世代へ託すことが責任ある者の姿だと思うからです。
この時期にもう一度、真摯に見つめ直すことで、これまでの運動の 姿とともに、次の運動の姿が、より鮮明になればと期待するところで す。50才前後を中心にまとめてみました。読み進めていただき、忌憚のないご意見をいただければ幸いです。
あとがきにかえて
2020年新型コロナウイルスの出現で、活動が自粛されたおかげで、過去の運動から学 びなおすことができました。
フクシマ原発重大事故を起こす前から、私たちの反原発・反核燃サイクルの主張が正しか ったことを改めて確かめることができました。
これまで、私たちを支えていただいた方々 への感謝の一端となれば幸いです。
これからも、絶大なるご支援をいただけれ ば、うれしいです。
2020年5月25日 記